「改正福博詳見図 全」 (42.7×68.4cm)
- 福岡 高須徳七編/福岡橋口町 山崎登版*/大阪 響泉堂刻/明治13年2月
- ↓
- リンク情報:地図 「改正福博詳見図 全」 から ご覧ください。
- *「山崎登」については索引でご紹介の予定。高須徳七は、目下伝歴不明。
~福博 について~
*江戸期博多と福岡は、別々の都市として存在していた。那珂川を挟んで博多と福岡の二つの都市が並立する<双子都市>であった。
*明治期になっても両者は別々の行政区分であった。明治期は下記の如く、政治行政制度が目まぐるしく変化していった。
明治5年5月:筑前は32区に分けられ福岡は1区、博多は2区となる。
明治5年9月:32区は14~16大区に統合され、福岡は1大区、博多は2大区となる。
明治9年 :9大区に統廃合され、福岡と博多を合わせて1大区となった。
明治11年 :1大区は福岡区と改称された。
明治22年 :<市制及び町村制>が公布され、全国で31市の一つとして福岡市が誕生。
以上=九州大学病院検査部HP ~鉄分検査室 第8回{博多駅今昔}~ より抜粋させて頂きました。 |