明治36年3月9日~9月4日 |
注釈 |
三月九日 |
明治三十六年三月九日
第5回内國勧業博覧會観覧ノ為上阪の
途ニ就ク、此日天氣曇朝八時四十分
御来屋※停車場出発 十時過キ境着
香川旅館休憩 午後三時汽き(シ+氣)船遠江丸二
乗船四時出帆此日風波無ク正午前より降
雨ノ為終夜船室を出デズ博覧會の為同船客多し
七銭 荷物運賃
六十七 境迄き(シ+氣)車
七十五 境人力車
弐円五十銭 敦賀迄船賃
廾八 境及敦賀
ハシケ賃
五十 香川旅館 |
※御来屋(みくりや)=鳥取県西伯郡にある地名・古くには御厨と書いた
(「平成12年7月」・「平成16年5月、同6月」)
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十日 |
未明看板ニ出ヅ若越遠近皆山々上白雪ヲ
戴キ天氣快晴迎フルガ如シ 朝七時敦賀。
弐円七十銭 き(シ+氣)車賃
廾五銭 新聞其他 |
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十一日
晴天 |
午前三時米原発車 七時大阪着
直チニ北野高垣町森氏※ニ投シ当分滞在ノ事ヲ
約ス旅装ヲ解キ天岡均一氏※ヲ東平野町十丁目ノ
寓ニ訪ヒ相携へテ博覧会場ニ到リ大村西崖氏※ニ
面シ美術館其他二三の館内ヲ通観シ相別レテ帰ル
博覧會ノ設備総テ盛大 第四回ノ比ニアラズ社會
ノ進歩驚ク二堪へタリ
七円五十銭 上中□□買物 |
※森琴石のこと
※天岡均一(あまおか きんいち)= 東京美術学校彫刻家第5期生(兵庫三田出身)
(最新情報「平成16年6月」・作品紹介「画稿・難波橋渡り初め」)
※大村西崖(おおむら せいがい)=東京美術学校彫刻科第一期生
(最新情報「平成16年6月」)
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十二日
晴天 |
午前廣田竹石氏※ヲ訪 泉布観ヲ見テ帰ル夜
山田秩氏※ヲ淡路町一丁目ノ寓ニ訪ヒ一泊ス
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※廣田竹石=号竹石・広田竹次郎・北野中学事務(関連資料「北野百年史より」)
※山田秩=森琴石妻ヤスの甥 |
十二日
朝雨後晴 |
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十四日
晴天 |
此日堀内氏ニ耳ノ診察ヲ受リ
午後北野中学ニ訪テ森田專一※氏ヲ訪
午後三時ヨリ造幣局倶楽部ニ於テ同窓茶話
會アリ出席ス會スルモノ廾名
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※森田専一=北野中学数学・記簿教師・校友会雑誌「六陵 りくりょう」創刊、発行兼出版人・学歴:徳島洋学校、洲本日進校など中退
(関連資料「北野百年史より」)
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十五日
晴天 |
外出セズ |
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十六日
陰天 |
午前堀内氏行其ヨリ博覧會場ニ到ル |
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十七日
陰晴 |
堀氏行 午後天岡氏※来訪
小寺氏※ヲ訪 |
※天岡氏=天岡均一
※小寺氏=小寺直好(こてらなおよし)・兵庫県士族・北野中学書記から次ドイツ語教師、後教員心得(国漢)・辞職後大阪市役所にと移る
(関連資料「北野百年史より」)
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廾日 |
堀内訪 |
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廾一日
晴天 |
堀内氏行 其ヨリ五時□氏ノ□□楼二於ケル
青■宴ニ出席 |
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廾二日
晴天 |
博覧會ヲ観覧ス 此日日曜大祭日ノ上彼岸
中日ニ当り会場内外人ヲ以テウヅム
此日ノ観覧人四萬数千餘人ト云
帰路繁本及篠崎※ヲ訪 |
※篠崎=篠崎純吉・号寒香散士・文学者
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廾三日
陰晴 |
堀内氏行 廣田氏※ヲ訪
十四円廾三銭
十一日以来買物及
雑費 |
※廣田氏=廣田(広田)竹次郎
在任13年1ヶ月 |
廾四日
雨天 |
堀内行
九八銭 □券
三十銭 診察及薬代 |
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廾五日
晴 |
堀内氏行
午後小寺氏※ヲ訪 其ヨリ
繁本氏※ヲ訪
三十銭 診察其他 |
※小寺直好
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廾六日
晴
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堀内氏
午後廣田氏※ヲ訪
三十銭 □□其他
六十五銭 車賃其他 |
※廣田氏=廣田竹石(竹次郎)
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廾七日
晴天 |
堀内訪行
午前 松本幹一氏※ヲ築地ノ寓二訪
此日モ四万餘人ノ観覧者アリ
三十銭 診察薬
五十七銭 車賃其他 |
※松本幹一 =電車局長
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廾九日
曇天夜雨 |
堀内氏行 午後昌隆社※茶會へ行
小寺氏ヲ訪
廾 銭 車 |
※昌隆社=煎茶流派家元
(作品紹介「画稿-煎茶会図<中:昌隆社中>」) |
三十日
晴暖 |
朝佐野五明渓※ヲ訪 廣田淡洲※君又
淡路ヨリ来リ會ス 相共二 道明寺天満寓社内ニ
於ケル釋奠ニ来拝ス 藤澤南岳先生父子
其他老大家ノ来會スルモノ多シ
式後席上揮毫常アリ
五十六銭 き(シ+氣)車賃 |
※佐野五明渓(さの ごめいけい)=淡路出身の書家・森琴石門下藤井琴谷が師事した
※廣田淡洲=廣田剛・号は澹洲とも書く
北野中学教員心得から漢文教師・泊園書院出身
(関連資料「北野百年史より」・「児玉
玉立石碑文」)
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三十一日
曇雨 |
堀内氏行
三十銭 診察薬
三十一銭 新聞其他
三月〆
三十六円八十五銭 |
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四月一日
陰天 |
堀内氏行
三十銭 診察薬
十三銭 紙 |
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二日
前雨後歇 |
堀内行
午後博覧會事務所局ニ大村君ヲ※訪
三十銭 診察薬
廾銭 き(シ+氣)車 |
※大村君=大村西崖
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三日
晴 |
堀内訪 其ヨリ博覧會場ニ行大祭日之為開場以来
未曽有の人ニテ入場者
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四日
快晴 |
堀内氏行 午後 橘堂栞谷ノ二氏※ト 泉布観ニ行
三十銭 診察薬
十二銭 泉布観ニテ
一円廾五銭 画箋紙半本
十八銭 湯券? |
※橘堂=片山橘堂・森琴石門下「片山吸谷」の別号
※栞谷=森琴石門下「藤井琴谷」の事
(「門人紹介・片山吹谷」・「門人紹介・藤井琴谷」)
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五日
曇午後小雨 |
小寺君※ヲ訪 |
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六日
陰晴 |
午後堀内氏訪
三十銭 診察薬
八十銭 手術料
十 銭 散髪 |
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七日
晴 |
堀内氏
廾 銭 診察
廾三銭 紙及切手
一円〇五銭 扇子十本 |
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八日
陰晴 |
堀内氏
陛下舞子へ行幸 午後三時大阪御通過ニ付奉迎送ス
夜 中之島公會堂ノ薩摩琵琶會ニ行ク
三十銭 診察
廾 銭 琵琶會 |
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九日
雨 |
堀内行
廾 銭 診察 |
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十日
陰晴 |
此夜亨※上坂 梅田紅葉館ニ宿泊 |
※亨=舩田舩岳実弟・国谷家に養子に入る・後年政治家となる(門人紹介:舩田舩岳) |
十二日
快晴 |
亨同行博覧會ヲ観覧ス 列続キ
夜間光景ヲ見ル 此日ハ場ノ内外人ヲ以テ
充満ス 入場者六万六千餘人ト云
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十三日 |
堀内行
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十四日 |
堀内行 |
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十五日
雨 |
堀内氏行
午前 山口氏ヲ訪
此日午後六時ヨリ中之島銀水樓ニ於テ
同窓大懇親會アリ 博覧會審査ノ為メ来阪中ノ
正木校長 川端 荒木 高村 黒田 石川 海野等
共 他ノ教授諸氏※及ヒ 卒業生共四十餘人来會ス
十日以来 諸費
三円九十三銭
弐円 懇親会費
十銭 車 |
※東京美術学校の教授連
正木直彦・川端玉章・荒木寛畝・高村光雲・黒田清輝・石川光明・海野経(おさむ) |
十六日
雨 |
堀内氏 行
十銭 茶代 |
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十七日
晴 |
堀内氏 行
十銭 茶 |
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十八日
晴 |
此日 亨※同行 奈良遊覧 一泊 |
※舩田舩岳弟 |
廾日
晴 |
博覧会開会式 聖上御幸セラレ大阪
未曾有の盛式ナリシ |
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廾一日
雨 |
堀内氏 行 |
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廾二日
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堀内氏 行 |
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廾三日
晴 |
堀内氏 行 夜 山田※ 行 |
※山田=舩田舩岳妻「延子」の弟・大阪鎮台勤務 |
廾四日
晴 |
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廾五日
雨
午後晴 |
午前 亨 帰国
十八日ヨリ
二円七十五銭 |
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廾六日
雨 |
堀内 行 山田及小寺氏※ヲ訪
三十銭 薬代其他 |
※小寺氏=小寺直好(旧制北野中学教員) |
廾七日
晴 |
堀内氏行
十銭 茶
凡六銭五厘 雑 |
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廾八日
晴
午后少雨 |
堀内氏行
十八銭 雑
四十銭 ハンケチ
四十銭 菓子 |
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三十日
晴 |
堀内 行
夜 山脇氏 来訪
十銭 茶
六十八銭 寺拂 月割
三十八銭 新聞代
四月会計
十九円五十銭 |
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五月一日
晴 |
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二日
晴 |
堀内 行 山田ニ母上※ヲ訪
此日 芙美子※及 菊太郎上阪
宮内同夜来訪
三十銭 雑
一円弐銭 薬代
十銭 車 |
※舩田舩岳妻「延子」の母
※舩田舩岳の妹、吉田家に嫁ぐ |
三日
晴 |
此日堺ニ行キ近藤翠石氏ヲ訪。其ヨリ
山脇落謦氏ヲ妙国寺ニ訪ヒ
共ニ水族館ヲ見ル
五十銭 き(シ+氣)車
三十銭 菓子
廾五銭 煙草
廾二銭 雑 |
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四日
雨天 |
堀内行
午后山田母上来訪 此夜十一時發ノき(シ+氣)車ニテ
帰国セラレ梅田ヘ見送ル
十銭 茶 |
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五日
晴 強風 |
廾銭 雑
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六日
晴 |
堀内行
廾銭 雑
十二銭 散髪
十一銭 雑 |
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八日
晴
午後降雨アリ |
堀内行
十銭 茶
三十銭 雑 |
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九日
晴 |
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十日
晴ノチ壜 |
堀内氏行
林田一樹園及北野車茶屋ニ於ケル盆栽陳列等ヲ見ル |
林田一樹園=森琴石「煎茶スケッチ」にも名が出る
北野車茶屋=大阪市北区茶屋町には車茶屋、鶴乃茶屋、萩乃茶屋といった茶屋があり、大阪有数の行楽地であった
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十一日
晴 |
午後小寺君ヲ訪
十銭 茶
十六銭 残 |
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十二日
晴壜 |
堀内行
此夜廣枩(松)氏出発
敦賀ヲ経テ帰国 |
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十三日
雨天 |
十一銭 雑
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十四日
壜 |
堀内行
十七銭 雑 |
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十五日
晴壜 |
天岡ヲ訪 ■■
一円0五銭 雑 |
天岡均一 |
十六日 |
壜晴 堀内行
午后森氏同道ニテ八百松楼ニ於ケル
石井金陵ノ書画選ニ行ク |
石井金陵=岡山出身の画家・略伝「石井金陵」 |
十七日
晴 |
小寺氏ヲ訪 |
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十八日
雨天 |
堀内行
廾五銭 雑 |
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十九日
壜晴 |
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廾日
晴壜 |
堀内行
廾銭 雑
廾五銭 炭 |
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廾一日
晴 |
十銭 髪
廾六銭 ○及雑 |
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廾二日
晴天 |
堀内行
福井山崎叔母上阪セラレ山田氏ニ滞在ニ■
討留ス
十五銭 薬 |
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廾三日
晴壜 |
七銭 ○
五銭 雑 |
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廾四日
晴天 |
松原氏来訪
金陵 森氏ト共ニ尼ヶ崎之書画會ニ行
三十一銭 車 |
松原三五郎=舩田舩岳とは、北野中学での同僚絵画教師・「北野百年史より」、門人紹介「佐野岱石(二)」
金陵=石井金陵・森氏=森琴石 |
廾五日
晴天 |
堀内行
晩方小寺君ヲ訪
十銭 茶 |
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廾六日
晴天 |
午後 河内奥沢氏ヘ行キ一泊ス
コピー欠(後日記述)
午後一時半ノき(シ+氣)車ニテ二時半帰阪
十九銭 き(シ+氣)車
四十銭 車
五十銭 正樹園 墨 |
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廾八日
晴天 |
廾五銭 雑
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廾九日 |
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三十日
雨天 |
出發前 諸買物拾五円
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三十一日
雨天 |
此日大阪出發帰国ノ途ニ就ク
是ヨリ先キ卯月上旬ノ頃ヨリ妻延子病気
(ルチウノヲヨウ)ニ罹リ切開手術後経過
面白カラズノ報アリ 突然帰国ノ事、決ス
此日昨日来降雨甚シク 午後二時き(シ+氣)車
ニテ岡山ニ一泊 |
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六月一日
晴天 |
朝六時岡山發車八時津山着
道中車二臺※ニテ新庄ニ一泊 |
※人力車2台
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二日
午前雨天 |
朝新庄出發 午後一時米子着、
三時過帰宅
帰宅後妻ノ病気益々重症ニ陥リ日々
看護怠ラザリシモ身体衰弱ノ為ニ
十四日ノ頃ヨリ危篤ノ容体トナリ 電報ヲ
以テ各親族ニ通知セリ |
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廾日 |
午前十時三十分 遂ニ逝ク 嗚呼悲哉 |
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廾一日 |
午前十時 佛式ニテ葬式ヲ営ム(日蓮宗)
墓地ハ東北ニ当リ新タニ求テ設営ス |
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八月三日 |
米子第三銀行に出頭保険金五百円ヲ受取ル |
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七日
晴 |
四十九日ノ法事ヲ為ス |
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十日
晴 |
此日出發 福井ヲ経て上阪ノ途ニ就ク
午前八時四十分發車 十時過キ境港着
植田旅館に休憩 午后六時き(シ+氣)船相模丸ニ
乗船 七時出帆 |
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十一日
晴 |
朝七時 敦賀着船 大黒屋支店ニ休憩
午前十一時 發車 午後二時福井着
山田氏ニ泊ス 母上 老祖母 更ニ
山崎叔母上等ニ面會 病中之事等詳シク物語リ
共ニ涙ニムセブ 親子ノ情思ヒヤラレタリ
出行 母上ニ 森叔母ニ 物語センガ為ナリ
両荷ヲ負イテ漸ク一方ノ荷ヲヲロシタリ |
山田氏=舩田舩岳妻「延子」の実家
森ヤスか?(森琴石の妻)
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十二日
晴 |
此日モ一泊シ 種々過キシ事ドモ
物語リセリ 皆涙ナリ |
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十三日
晴 |
午前五時三十分福井發午後三時
大阪ヘ着ス
十日出発以来大阪滞在中 暑気実ニ堪ヘ難ク
本年ノ如キハ近数年無キ處ナリ |
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十四日
晴 |
山脇落聲氏来訪 共ニ天岡氏ヲ訪
大村氏ヲ訪 |
大村氏=大村西崖
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十五日
晴 |
森氏ヲ訪 |
森氏=森琴石 |
十六日
晴 |
山田氏方ニ■リ 山崎捨三氏※ニ面会ス |
※舩田舩岳妻延子の末弟、福井山崎家の養子となる。後年、森家祖母「梅子」の妹、佐賀藩入江家三女「入江貞子」が妻となる。銀行勤務。 |
十七日
晴 |
堺ヘ行 近藤翠石氏ヲ訪 共ニ石川弥太郎氏ヲ訪
午後山脇落聲氏ヲ妙国寺ニ訪
遂ニ山脇氏ノ寓ニ一泊ス |
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十八日
晴 |
午前帰阪 |
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十九日
晴 |
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廾日
晴 |
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廾一日
晴 |
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廾二日
晴 |
此夜十二時發ノき(シ+氣)船ニテ淡路ニ向ケ
出發ス |
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廾三日
晴 |
朝洲本着直チニ廣田剛氏ヲ訪
一泊ス |
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廾四日
晴 |
朝六時洲本發ノき(シ+氣)船ニテ正午前
大阪着 午後小寺氏ヲ訪 |
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廾五日
晴 |
大村氏ヲ博覧会事務局ニ訪 共ニ
森氏ヲ訪 |
大村氏=大村西崖
森氏=森琴石 |
廾六日
晴 |
森氏ヲ訪 暇乞ヲ為ス
此夜 十時發ノき(シ+氣)車ニテ出發 翌午前
三時岡山着
山口玄洞氏方へ奉公中ノ規矩太郎
脚氣ヲ病ミ郷里ヘ転地ノ為メ連レ帰ル |
山口玄洞=尾道生まれ・大阪で実業家として大成、
舩田舩岳とは交流が深かったようだ。 |
廾七日
晴 |
午前六時岡山發車途中金川駅ニテ
き(シ+氣)鑵ヲ損ジ為ニ二時間延着 漸ク十時
津山着其ヨリ車ニテ壷井弁当 新庄
ヘ一泊ス |
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廾八日
晴 |
朝五時 新庄出發 正午頃 米子着
午後二時之き(シ+氣)車ニテ帰宅
此旅行 諸買物及旅費合計
百十円ナリ |
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九月四日
晴
夕立降ル |
本日ヨリ旧盆ニテ墓地ニ石塔築成セリ |
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