大阪市北区梅田にある阪急百貨店(六階古美術街)の「山中商会」を訪れる。森琴石の「煎茶」に関する下絵には、「天山中てんやまなか」「高山中たかやまなか」「角山中かどやまなか」や屋号である「春篁堂しゅんこうどう」の文字・名前がしばしば出てくる。下絵類は煎茶会に展覧した画や道具類を、写生や縮図にしたものである。これらの名は、琴石の自宅に近かった大阪市東区高麗橋(こうらいばし)界隈で営む古美術商「山中春篁堂」の一族の名前である。明治半ばからは、世界にはばたく東洋古美術商「山中商会」として発展していった。社長の山中潔氏から「春篁堂」の歴史や、その他の資料のご提供を頂く。また「煎茶道」や「明治期の大阪文化」に詳しい方々のご紹介をいただく。
◆春篁堂の春=「竹かんむりの下 春」 ∵IT上正確には表示されない為、春に置き換えた
◆天・高・角は、地名や住居の位置により区別、名づけられた。
◆明治27年山中定次郎氏がニューヨークに最初の店を構え、以後ボストン・シカゴ・ロンドン・北京
などに出店し、イギリス王室から英国王室御用達の証明紋章「ロイヤル・ワラント」を受ける。
◆山中定次郎氏の人物業績については、昭和14年刊・山中定次郎翁伝編纂会編「山中定次郎伝」に詳しく著されている。また「天龍山石佛集
1928」・「棚物集成1933」・「支那古銅精華1933」・「九谷 鍋島 柿右衛門名品集1934」など多数の著書がある。
◆山中潔氏は平成15年12月「山中商会」を退職。新たに平成16年4月より兵庫県芦屋市で「山
中春篁堂」の名を復活させて美術商を営む。潔氏は山中定次郎氏のひ孫に当たる。
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