平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します
■ | 9月半ば過ぎ、東大阪市にお住まいの、森琴石の高弟「近藤翠石 こんどうすいせき 」の孫宅を訪問する。香川県丸亀市より大阪に出、森琴石の内弟子として6年間師事した近藤翠石は、琴石の家族を含め周辺から最も頼りにされていた。旧制豊岡・堺・桃山中学校での図画教師 注1 を8年間務めた後、大阪の名だたる財界人 注2 に、画の教授をするなど、自らも多くの門生を指導する。それらが後援者となり、中国や欧米に漫遊旅行をした。記録としての瀟洒なスケッチ類が大量 に残されている。翠石描く「琴石肖像画」があり、森琴石が近藤翠石に宛てた書簡、森琴石に宛てた清国文人「衛鋳生」・「王冶梅」・「胡鉄梅」・「朱印然」 注3の書簡、大阪の儒学者「藤澤南岳 ふじさわなんがく、高松出身 」が「南宗画会」で講演した原稿も残されており、それら書簡類や原稿が、巻物にと装丁され大事に保管されていた。また翠石は、琴石没ニヶ月後の大正10年5月に、琴石の印譜集「森琴石先生印存」を製作している。 国学者、篆刻家「近藤石顛 こんどうせきてん 」(別に尺天と書く)は実兄である。
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■ | 滋賀県立大学図書情報センター「陳コレクション 注1」には、門弟「近藤翠石」の「支那名勝画冊」(大正7年) や「増田東洲 ますだとうしゅう 注2」の「支那漫遊図録」(大阪聚楽会・大正14年10月) の著書が収蔵されている。
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■ | 森琴石編纂「名家画帖」(大野木市兵衛出版・明治13年3月) や森家の小画帖、二曲一隻貼交屏風に「山水図」などを揮毫している「天野方壺 あまのほうこ 」は、明治3年上海に渡り、一年近く「胡公寿」に画の指導を受けていた。
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