注1 |
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高橋由一=関係人物紹介:高橋由一をご覧ください。
上海に渡った当時の名は「※臺之助」といった。
※臺=イ+臺 (IT上には無い文字のため置き換えた) |
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注2 |
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「明治前期日中学術交流の研究-清国駐日公使館の文化活動」(陳捷著・汲古書院・2002年2月)による |
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陳捷氏=北京大学大学院より東京大学大学院に学び、1999年から日本女子大学講師、 助教授などを5年間。2004年4月より文部省・大学共同利用機関「国文学研究資料 館」資源系研究助教授として着任。著書に『明治前期日中学術交流の研究-清国駐日 公使館の文化活動』(汲古書院、2002年2月)。論文「岡田篁所の『滬呉日記』につ いて」(2001年3月)・「岡千仞と来日した中国知識人との交流について」(2002年3 月)・「増田岳陽と来日した中国知識人との交流について」(2004年3月)その他があ り、それら諸資料をご送付頂く。 |
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岡田篁所(おかだ こうしょ)=文政3年長崎生。名は穆、恒庵と称す。17歳の時 大塩中斎弟子の宇津木静区に師事。弘化2年江戸に行き多紀元堅に入門、また野田笛 浦から漢学を学び、その後長崎に帰り医師となる。明治5年2月長崎の骨董商松浦永 寿に同行し上海に渡る。蘇州にも行き2ヵ月後帰る。宇津木静区の実弟は岡本黄石。 (陳捷氏論文より)
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岡千仞(おか せんじん)=天保4年仙台生。号鹿門。嘉永5年昌平黌に入学。昌平黌 時代の親友松本奎堂・松林飯山と大阪で「双松岡塾」を開き、下記項目に記述の藤本 鉄石・吉村寅太郎らとも親交していた。(陳捷氏論文より)
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当HPでの清国に関する記述は、最新情報‐平成14年6月、11月・平成15年5月、7月、8月 ・平成16年1月、4月 や、関係人物紹介‐池田正信、片桐楠斎、関連資料‐学海画夢、翰墨因縁、中野 雪江などをご参照下さい。 |