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「増田東洲」は、彼の作品が市場に余り出回らない事もあり、森琴石門下としては近藤翠石や佐野岱石に比べ知名度が低い。明治30年、日本美術協会に提出した門弟名簿にはその名が無い事から、増田東洲はそれ以降の入門者と思われる。
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当HP門人紹介:奈良県「増田東洲」の資料は、、大正8年10月に東京電報通信社が出版した「京阪神ニ於ケル事業ト人物」という書物である。同書は、当時の京阪神の主要な実業家や企業について収録されたもので、サイズもかなり大きくて重い。書物には多くの実業家に混じり、芸術家も少し収録されている。森琴石一門では、森琴石の他「近藤翠石」と「増田東洲」が収録されている。当時実力・財力もあったとされる「佐野岱石」や「田川春荘」は収録されていない。書物は「日本紳士録」と同じように、実力と共に財力が備わる人物が対象。前払い制<参拾円>という金額は、当時としてはかなり高額な書物である。書物には、掲載者の家系や家族の個人情報が記載されている。発行社から掲載伺いを尋ねられた者には、それらに抵抗を覚え、掲載を拒んだ者もあると思われる。
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「増田東洲」を知るその他の資料として、「支那漫遊図録」がある。これは、大正12年10月、三越呉服店で開催された展観図録である。図録には、増田東洲が、中国を漫遊した時の景観を描いた作品が収録されている。図録からは、増田東洲に関する新たな事実を知る事が出来る。
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「支那漫遊図録」によれば、「増田東洲」の家系は大和五条の豪族で、家祖は後醍醐天皇の行宮(あんぐう 注1)として使用されたほどの名家である。家系には「堀小太郎」という、1330年代の前半に起こった、後醍醐天皇の命を発端に起こった倒幕運動、所謂”元弘の乱 注2”の功臣がいた。増田家は、幕末には天誅組に多大な影響を与えた森田摂斎との係わりがあったようだ。森田家は大和五条の医家で、増田家とは同郷同業者である。
- ★「平成15年10月 美保関町雲津 」・「平成16年5月」・「平成17年4月注1 (笠置山)」にもあるように、森琴石は後醍醐天皇の足跡にゆかりのある地を訪れ、スケッチに残したりしている 注3。
- ★当HPでも、森琴石の周辺には「藤本鉄石」・「吉田松蔭」・「藤井竹外」・「野田笛浦」・「頼三樹三郎」などの人物との係わりが見られる 注4。門下「波多野華涯」のひ孫、小田切家には「藤本鉄石」の作品が相当数残されているという。
●上記のような縁もあり、増田東洲は森琴石の門下となった可能性がある。「平成10年10月」に記述の、森琴石作品の所蔵者の祖先は、後醍醐天皇が乗船した舟を、隠岐まで引導した方。不思議な縁を感じる。
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東洲の父「奈良吉」は、増田家第75代目の医師で、増田東洲は裕福な家庭に育った。幼少時より絵事を好んだ東洲は、父のあとを継ぐべく医師への道を歩んだが、こころざし半ばで刀圭を断ち、森琴石門に入門した。筆筋が良く、森琴石指導のもと、めきめきと腕を上げ受賞歴を重ねていく。
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大正14年春、森琴石の歿後4年目、東洲は一念発起して中国へ漫遊の旅に出かけたが、折りしも「上海南京事件(排日動乱)」勃発に遭遇した。動乱の最中ではあるが、あらかじめ計画していた事なので、上海上陸後、当時其地で文化活動を展開していた、浄土真宗本願寺派第22世門主”大谷光端”に会い、光瑞の紹介を受け、青木文教やその他在留諸名士から諸知識を得た。しかし長江の下流、僅か蘇州杭州を暫見したに過ぎなかった。砲煙弾雨に遭い、行李を持つのがやっとの事で、命からがら上海郵船碼頭軍艦”安宅”の掩護(えんご)のもと、長崎丸でようやく帰着した。その後は日中間の政情悪化で、再度の訪問は実現しなかった。
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「支那漫遊図録」は、蘇州杭州などの景観が、全42図収録されている。作風は全て霧か霞の中の景色を描いたような”朦朧体風”で描かれている 注5。図録の巻頭の文言には、「(師匠には申し訳ないが)世風が激変し、画風を一新した」とある。当時日本画であれ南画であれ、朦朧体の絵が求められ、美術商は画家にそれを強い、画家も挙ってこの作風で描いた。増田東洲も、好むと好まざるにかかわらず”朦朧体風”で描かざるを得なっかったようだ。当時の南画家の切羽詰まった事情が伺える。
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図録の末尾には、先の”大谷光瑞”や”青木文教”、著名な実業家”本木誠三、辻源太郎”など39名の賛同者氏名が書かれている。増田東洲は、繊細で柔和な作品が多く素人受けした。東洲は、その家系の毛並みの良さと人脈から、画を求める者が多かったという。骨董界では東洲の作品が余り出回らない事から、作品の多くが戦災で焼失した可能性がある。
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「支那漫遊図録」は、「平成16年10月■2番目」に記述の、滋賀県立大学図書情報センター「陳コレクション」や、アジアの歴史や文化の研究専門機関として名が知れる「東洋文庫」に所蔵されている。
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