手元に、文久~明治初期にかけて、森琴石の初号と思われる習作が残る。17歳から25,6歳、若い盛りの頃のものである。それらには「蘆橋」や「漁隠」という文字が記されている。いずれも文久、慶応年間の作品である。これらは師匠「鼎金城」や、<中国文人画家>の写などである。慶応3年、「漁夫図」を写した習作の裏面には「緑塢所蔵の副也」と書かれている。
明治元年の習作には「闇泉舎」と記され、明治4年10月、友人「中野雪江」のために描いた「雪景山水図」は<号 金石>で、「響泉亭」で描いたとある。森琴石の銅板工房名「響泉堂」に繋がるようだ。
これら習作の落款からは、師匠「鼎 金城」の足跡を知る事が出来ると共に、森琴石の、幕末~明治初期にかけての足跡を知る手がかりともなる。下記に初号の落款や、号変遷の経緯をご紹介します 注1。
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