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上記文章中「庄原英学校」「森修一」「渡辺義一」に関する記述の出典は、寺田芳徳氏『日本英学発達史の基礎研究(上巻)』(渓水社・1999) によります。
馬本勉氏にも多大なご協力を頂きました。
- ★馬本勉氏=県立広島大学生命環境学部(共通教育)准教授
- 馬本 勉のホームページ ・ブログ英学史日記 ・森修一について を公開されておられます
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■の文章中「渡辺玄丹」・「渡辺家」に関する記述は、下記資料に基いています。
- ★「適塾に学んだ広島県北部の医人たち -特に渡辺玄丹を中心として-」 より
- 江川義雄(文)=「廣島醫學」 Vol 46・No1(136頁~140頁)/広島医学会発行/1993,5,23
- 資料ご提供者=武田祐三氏〈庄原氏田園文化センター所長・平成19年10月にご提供頂きました)
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注1 |
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K氏コレクション― 当HPでのご紹介箇所
- 展覧会情報:平成19年 5/14~5/26
- ■匐蝠書牢収監K氏蒐囚品展(ふくふくしょろうしゅうかん K氏しゅしゅう品展) など
K氏コレクションとは=K氏が長年に亘り蒐集した、刷り物(木版・石版・銅版など)・古書(希観本)類など。響泉堂刻作品はその中の一部です。今後出版予定の「森琴石画集」では、K氏蒐集の<響泉堂刻書誌・作品>が大部分を占めます。商品広告用の ラベル・引き札など、これまで知られていない珍しいものが含まれています。
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注2 |
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<心斎橋>や<吉岡平助>については、
大阪日日新聞連載 『森琴石と歩くおおさかの町 -心斎橋-』に 少し記述があります。 |
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注3 |
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吉岡平助が出版した”森琴石著書及び響泉堂書誌”は、「雅友・知友:吉岡平助(三)」をご覧ください。
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注4 |
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- 吉岡平助略伝=「日本 現今人名辞典 第三版」(著作兼発行:日本現今人名辞典発行所・明治36年12月・約800頁)による
- ※同著書は、明治33年に初版され、翌年に第2版、明治36年に第3版が刊行された。明治時代に活躍した人物の事蹟を知るために著されたもの。伝記蒐集の困難は予想を遥かに超えたと、凡例に書かれている。また<他日必ず明治の史料として欠くべからずものとならん・・・・>と、井上哲次郎が識をしたためている。同辞典を編集するに当り、人物を推薦斡旋する篤志家名が網羅され、次には第三版の為に特に揮毫を寄せた43名の書画家の名前が記述されている。因みに森琴石は、765頁に、望月玉泉と共に山水画が掲載されている。下記に人名を、画像でご紹介します。
- 「日本 現今人名辞典 第三版」 凡例 より人物推薦斡旋篤志家名 & 揮毫書画家名
- 人物推薦斡旋篤志家名 & 揮毫書画家名
★森琴石は、左下、最後から2番目に名前があります。
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注5 |
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- 「渡辺玄丹(1843~1916)」・父「渡辺貢郷」 補足
- ●天保14年(1843)3月13日、備後国三上郡庄原村で出生。幼名を虎次郎、長ずるに及び礼三と云った。医者となって玄丹と称した。適適塾姓名録には吉備庄原渡辺易安の倅礼三として文久2年正月(1862)入門と記録されている。
●父渡辺貢郷(安永5年1776~文政』9年1826)は、渡辺丹斎の次男で、諱は徹、字は九一、通称貢郷、号は桂園という。若くして上京し、後籐の門下となり、また巌垣・龍渓の禅師について経学を学んだ。父や兄の相次ぐ死去により帰郷し、家業を継いだ。医業の傍ら神辺の菅茶山に師事した。茶山により家の号を「碧梧亭」と命名されるほど親しかった。茶山の廉塾に頼山陽が塾頭であった事から、頼一族との交流があった。
―「適塾に学んだ広島県北部の医人たち ‐特に渡辺玄丹を中心として‐」 ―より
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注6 |
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- 「大阪中学校」の変遷
- 舎密局⇒名称変更し<理学所>⇒大阪開成所(大阪洋学校と合併)⇒名称変更し<第四大学区第一番中学→開明学校→大阪外国語学校→大阪英語学校→大阪専門学校>⇒大阪中学校(明治13年)⇒大学分校(明治18年)⇒第三高等中学校(19年)⇒京都に移転(明治22年)⇒京都大学 舎密局記述=平成19年1月【1】注7※末尾 など
- 上記は、大阪日日新聞連載<森琴石と歩くおおさかの町> 2002/09/19
- 八木滋氏(大阪歴史博物館) -大阪中学校 明治前期の舎密局が源流- に詳しく書かれています
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注7 |
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- <森修一 と 渡辺義一>の 関係について
- 現在庄原市では、馬本勉氏をはじめとして、庄原英学校、森修一、渡邊儀一などについて、調査活動や検証に取り組まれておられます。
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注8 |
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- 「ナショナルリーダーズ」は、吉岡平助以外にも多くの出版人により翻刻されており、その「独案内」本は、<森修一&吉岡平助>以外のものも多数出版されている。
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注9 |
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当ホームページ記述ヶ所
- 頼家
- 頼山陽=「平成17年10月注11、13」・頼三樹三郎=「平成15年11月注4※頼三樹三郎・・・・」・頼支峰=「平成17年4月注7の下●頼山陽・頼支峰」 他
- 適塾
- 「平成19年7月【1】」 他
- 慶応義塾
- 「平成18年5月【4】◆末尾」・雅友・知友「武藤吉次郎」 他
- 福澤諭吉
- 「平成16年9月■2番目」・「平成18年6月【1】■6番目」・「平成18年9月【2】■5番目」・索引「朝吹英二」
- 自由民権運動
- 「平成19年8月【2】注3 竹内峴南」・「平成19年6月【1】注4 古澤滋」・「平成18年7月【1】■5番目」 他
- キリスト教伝道
- 「平成18年7月■5番目」・「柴原宗助」
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