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注1 |
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讀賣十句粹(読売十句粋) |
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●読売新聞社が、尾崎紅葉を選者に立て、明治35年3月から俳句の連載をした。
●祖父森雄次は手帳に第71回までの分を切り抜き貼り付けている。
●祖父森雄次は、第1回から第71回までの間に、第26・29・36・37・41・46・48・54・62回と計9回採用されている。
「讀賣十句粹 (四一)」 尾崎紅葉選
「森雄次手帳」より
中ほど:琴雨=森雄次(森琴石長男)
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注2 |
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加藤眠柳=文学家・加藤紫芳(西村天囚・渡辺霞亭など浪華文学会の同士)の弟 |
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注3 |
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柳荘太郎 |
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福澤諭吉の甥で三井財閥の基礎を築いた「中上川彦次郎」に、池田成彬や朝吹英二※らと共に三井銀行に登用された人物の一人。柳荘太郎は明治27年に入行した。
森家に残る上記三井銀行関係者(共通=慶応義塾出身)
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賀状:柳荘太郎
(昭和12年元旦) |
写真:中上川彦次郎
(明治29年6月 丸木利陽氏撮影) |
書簡:池田成彬
(明治42年10月18日付) |
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※朝吹英二氏
●森家曽祖父「入江俊次郎※」 関係資料に名あり |
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早稲田大学大学史資料センター:写真データベース 検索システムで
◆人物名:入江俊次郎 叉は ◆人物名:朝吹英二 をご入力ください
(※入江俊次郎=家族・係累「入江穆遠」など) |
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●高野山霊宝館(宝物館)設立発起人の一人(他に上野理一、渋沢栄一など)
大正十年5月15日霊宝館開館式を挙行。初代館長として金剛峯寺座主土宜法龍大僧正が就任。以後館長には歴代座主が就任した。
●上記【1】記述の「間宮泰竜(号起雲)」は、高野山霊宝館の館長を務めていた。(調査中)
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森雄次(雄二)については、「平成11年6月」ニ記述がありますが、将来「家族・係累」でご紹介の予定です |
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森琴石と慶応義塾などについて |
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●「平成16年9月■2番目」、雅友・知友「武藤吉次郎」をご覧ください。
●森琴石が養子となった江戸末期の森家は、大坂伏見町に住んだ。その2代前の出石屋定七は、安治川(現在の福島区)で、廻船関係の家業を営んでいたようだ。近隣には蔵屋敷があり、諸国からの廻船が頻繁に往来した地であった。福澤諭吉の生地の蔵屋敷や福澤諭吉※が通った適塾※が近隣にあり、塾生には先月度記述の「佐野常民」などもいる。森家の文政時代の記録には豪商「鴻池」の名前が記されている。安政4年、森琴石の養父猪平※(善蔵)の死亡時には「醫師御礼 緒方様」の名前や、「藤澤様※」の名前が記されている。その他大阪の古文書の資料に出る人名が含まれている。(江戸時代の森家については目下調査中)
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※福澤諭吉=慶応義塾創始者/適塾創始者=緒方洪庵/藤澤=藤澤東畡と思われる/森猪平=大正12年時の戸籍謄本では、猪平の住所は「東區伏見町三丁目三番屋敷」となっている。
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