「大阪会議の概要 および 花外楼」について
下記は、《大阪日本料理店ガイド −大阪の料亭いま・むかし− 花外楼のゆかり》から転載させて頂きました。
【大阪会議】とは、明治4年(1871)7月に行われた廃藩置県により、武士達が職を失うなど、当時は画期的な政策だったがその実、不平が高まり政情不安が増すばかりだった。一方、政権内の内情も惨憺たる物で、どうにか政局を持ちこたえていたのが大久保政権だったが、独裁者として権威を欲しいままにしていた大久保利通も、相次ぐ下野に孤立無援、悪戦苦闘の連続で、精も根も尽き果て、元のような強固な政治体制に戻すべく、木戸孝光と板垣退助の復帰を望んだ。
会談をもつあっせん役を見かねた長州出身の伊藤博文(のち初代首相)と井上馨(のち外相)が買って出てくれ、その時伊藤より、両氏に送った手紙が現在『花外楼』で保存されている。この【大阪会議】は、大久保、板垣、木戸という日本を代表する政治家が大阪に集まり、日本の将来の進路について意見の交換をし、そして決定されたことが次々と実行されたので政治史上、重大な改革をもたらしたことから、歴史的行事の意義は極めて大きかった。
この会議の成功を祝って木戸孝允より送られた屋号が『花外楼』であり、以来、政界、官界の大立物が続々と出入りする事となった。 |