「因伯時報」 漢詩欄 より
~「杵村小雅」の漢詩に「竹内峴南」が唱和したもの~
★資料ご提供者=大原俊二氏
★翻刻及び現代語訳=大原俊二氏
(米子市史編さん事務局事務総括・米子市図書館協議委員・米子藤樹会理事)
★記事の内容を良く理解いただく為、現代語訳を先に記載させて頂きました
現代語訳
『因伯時報』 ―明治四十三年(1910)十二月十五日付―
藤小雅君から、新に玉堂琴士の製作した古琴を手に入れたと聞いたので、とりあえずこの歌を作ってお贈りする。
峴南 竹内吉
藤君※が新たに手に入れた古琴は (※藤君=杵村小雅)
かの有名な琴士玉堂が製作したものだというじゃあないか。
玉堂は 琴を命よりも大切にして
かつて苦心して催馬樂の楽譜を作った人だ。
琴は秘蔵されて
時代を経た古色は すでに漆の光を失わせている
螺鈿(らでん)で徽(き)を作り、桐を材とし
製作した喜びの字句を 工夫して作っている
その時以来、法隆寺伝来の開元琴について考えてみると
もともと開元琴は昔風であって 飾りけがないものなのだ
玉堂はそれを模作して彈き その音色を好んで
綿袋でこれをくるんで 大切に護ってきたのだろう
藤君がこの琴を手に入れるについては 母が賛成した
藤君の琴の技能はいちじるしく上達したのは
音階の調子を整えるために 絃をあれからこれへと
あるいは強くあるいは弱く しっかり捉えようとしたからだ
藤君は 今や当代の琴士の一人として
その純誠な精神は玉堂とまったく同じといってよい
こころのまま 自由気ままに振舞って
世渡りに 人と溶け合わないことがあっても何の不思議があろうか
こころを削って 琴を學ぶこと三十年
性格はのんびりとしていて 鶴のように楽しみ遊んでいる
十本のきよらかな指が 琴に觸ると音と成り
奥深いかすかな心を ことごとく捉えることに擢んでている
今 この人がこの琴を手に入れたのだ
それがたまたま偶然であったにしても 決して玉堂を辱めるものではない
ただどうして この世から伯牙の故事の喩えはなくなり
音色を聞き分けるほどの友は はるか彼方へ行ってしまったのだろう
陽春白雪の琴曲を 弾きあう者も少なくなって
田舎の俗謡だけが 巧■というのはむなしい
山の曲海の曲があっても 誰もその区別を知らず
ごたごたになっている現実は ただ藤君をなげかせている
ああ 藤君よ藤君よ 信じてなげくがよい
古来、宝石の原石は見分けがたくて 軽く扱われるものだ
春秋時代の伯牙は起きず 江戸時代の玉堂はすでに亡い
世にもめずらしい琴曲の調の その難しさよ!
明治四十三年十一月十日、たまたま市をたずねて古琴を手に入れたものは、おそらく玉堂琴士の製作したものであろう。だから短古を賦し、喜びを記して峴南先生にお贈りする。
杵村 小雅
古城に 秋風が物静かに
しかも北風のように 身や心を引き締めるかのように衣を吹く
夜は更けていて 月光は重苦しく
寒天に 雁の影はまれである
幸運な男は 新たに琴を提え得ることができて
月の光りを浴びて ゆったりと歩く
誰もわかるまい この私のよろこびを
いや君だけは わかってくれるね この思いを!
琴を彈きながら、藤小雅君が贈ってこられた短古の韻を用いてつくった
竹内 峴南
夜半 明るく光って寢れない
寝ようとしていた床を起き出して 着物を着替えた
琴を弾き 琴にたすけられて すこし自分の思いを尽した
曲は気高く 応えて一緒に弾いてくれる者はないだろう
音階のリズムを整えるのに
絃をあるいは早くあるいは遅く往き返りさせるのだ
彈きやめて 雨戸を開いてみると
松のこずえに 名残惜しそうな月じゃあないか
原文及び 訓読文
『因伯時報』 ―明治四十三年(1910)十二月十五日付―
原文 聞藤君小雅新獲玉堂琴士所造一古琴即作此歌以奇之
訓読 藤君小雅新に玉堂琴士造る所の一古琴を獲ると聞き、即ち此の歌を作り以て之を寄す
峴南 竹内吉
藤居新獲一古琴
云是玉堂琴士之所◆
玉堂愛琴重於命
苦心曾譜催馬樂
雲和之琴係秘蔵
古色鬱然漆光剥
螺鈿作徽桐作材
題欸有字勞雕琢
爾來還視開元琴
開元之琴古而樸
模作以彈其音好
綿嚢盛之愛護渥
藤君所獲母之是
龍唇鳳口入商摧
緝商綴羽絃又絃
一抑一揚隨把捉
藤君即是今琴士
心與玉堂同純愨
自適其適不知他
處世寧怪多圭角
刻意學琴三十年
性閑似鶴姿濯々
十指乾淨觸成音
幽心遠意儘超櫂
今以斯人獲斯琴
偶合洵不辱先覺
唯奈世無■伯牙(■は「喩」か)
知音千載空緬◆
陽春白雪和者寡
下里巴調漫巧詠
峨洋有曲誰識別
徒使藤君嗟混濁
噫(口+歳)
藤君藤君信可嗟
世重頑石輕良■(■は「璞」か)
伯牙不起玉堂亡
希世之調難數々 |
峴南 竹内吉
藤君 新に一古琴を獲(え)る
是(これ)玉堂琴士のけずる所と云う
玉堂 琴を愛すること命より重く
苦心して曾て催馬樂を譜す
雲和の琴 秘蔵に係り
古色 鬱然 漆光剥ぐ
螺鈿もて徽(き)を作り 桐もて材を作り
欸(あい)に題して字有り 雕琢(ちょうたく)を勞す
爾來(じらい) 開元琴を還り視れば
開元の琴 古にして樸(ぼく)
模作して以て彈き 其の音を好み
綿嚢に之を盛り 愛護すること渥(あつ)し
藤君の獲る所 母は乃ち是とす
龍唇 鳳口 入りて高くうつ
商を緝(つむ)ぎ羽を綴るに 絃また絃
一抑 一揚 隨把(はそく)に従う
藤君 即ち是(これ)今 琴士
心は玉堂と純愨(じゅんかく)を同うす
自適 其適 他を知ず
處世 寧(なんぞ)圭角(けいかく)の多きを怪まん
刻意 琴を學ぶこと三十年
性 閑にして 鶴に似たる姿濯々(たくたく)
十指の乾淨 觸れば音と成り
幽心の遠意 儘(ことごと)く超(すぐれ)て擢(ぬきんで)る
今 この人を以てこの琴を獲る
偶会(ぐうかい) 洵(まこと)に先覺を辱めず
唯奈(なん) ぞ世に伯牙の喩無く
知音 千載に空しく緬ばくせん
陽春白雪 和す者寡(すくな)く
下里(かり)の巴調(はちょう) 巧■空(むな)し
峨洋(がよう)の曲有れど 誰か別を識らず
徒(いたずら)に藤君をして混濁(こんだく)を嗟(なげか)しむ
噫<口+歳>(ああ)
藤君よ藤君よ 信じて嗟(なげ)くべし
世に頑石(がんせき)は重く 良璞(りょうはく)は輕し
伯牙は起きず 玉堂は亡し
希世(きせい)の調の難(かたき)ことの數々
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自註、雲和琴之事見玉堂琴記開之禁摸作之事載玉堂先生琴譜
原文 庚戌十一月旬云偶探市獲古琴盖玉堂琴士所造也因賦短古一篇記喜以寄峴南先生
訓読 庚戌十一月旬、偶たま市を探し古琴を獲ると云うは、盖し、玉堂琴士の造る所なり。因りて
短古一篇を賦し、喜びを記して以て峴南先生に寄す。
杵村 小雅
古城氣蕭瑟 北風凛吹衣
夜深月色寒 天 雁影稀
佳人新提得 月下歩遲々
誰知我意中 懐君思依々
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杵村 小雅
古城 氣は蕭瑟(しょうしつ) 北風 凛として衣を吹く
夜深く 月色苦(にが)し 天寒く 雁影稀(まれ)なり
佳人 新に提え得て 月下の歩み 遲々(ちち)たり
誰か知らん 我が意(こころ)の中(うち)を君を懐(おも)えば思い依々(いい)たり
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原文 彈琴次藤君小雅見寄短古韻
訓読 琴を彈き、藤君小雅の寄せらる短古の韻に次す
竹内 峴南
中宵耿不寢 出床起整衣
授琴聊寫臆 曲高知者稀
引商而刻羽 一速還一遲
彈罷開戸見 松外月依々
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竹内 峴南
中宵 耿(こう)として寢ず 床を出で 起きて衣を整う
琴に援(たすけ)られて 聊(いささか)臆(おもい)を寫す
曲は高く 和する者は稀(まれ)なり
商を引きて羽を刻すに 一速 還りて一遲
彈き罷(やめ)て 戸を開き見れば松外に月は依々(いい)たり |