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先月度ご紹介の山中潔氏より、森琴石の明治36年「梅林山水図」「松林山水図」の双幅図所在のご情報提供を頂く。双幅図には「富岡鉄斎」・「石橋雲来」が画賛を書き、落款には佐賀出身の大和絵画家「高取稚成 たかとり わかなり」のために描いたと書かれている。森琴石は、長男「雄二」の妻となった「うめ(梅子)」の家系が佐賀藩士だった事から、佐賀出身者とも交流を深めていたようだ。
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◆祖母「うめ(梅子)」の父入江俊次郎は、大隈重信公の側近者(家令)として仕えたが、終生公に名を出す事はなかった。入江家は天正(1570年代)頃より肥前国領主鍋島家に代々仕え、鍋島藩の組頭・御蔵方相談人・大御目付役・代官助役などの要職についてきた。砲術に長けた者もいた。曽祖父入江俊次郎は、寛政2年(1790)本家から分家した入江善次郎から五代目に当たる入江兵之介(号穆遠 ぼくえん)の二男。
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◆入江俊次郎は、幕末に入江家を代表し、大隈重信・百武兼行(画家)と3人で上京した。上京後は大隈重信氏を裏方で支えた。以来俊次郎は大隈家とは同じ居宅、敷地内に住んだ。森家謄本にある祖母の住所「東京府豊多摩郡戸塚村大字下戸塚70番地」は、早稲田大学大隈講堂などの敷地となった。大隈家とは立ち退きを機に、上京後初めて青山と世田谷に分かれて住んだという。
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◆佐賀県神埼郡にある入江家の菩提寺「妙雲寺」は、天文19年(1550)鍋島家元祖である清久(鍋島直茂の曽祖父)の開基により建立され、佐賀御城の鬼門を守るための、鍋島家の武運祈願所であった。また山口市「瑠璃光寺」の末寺でもある。
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◆鍋島家の菩提寺「高傳寺」は「妙雲寺」第二代目冷岩玄波(れいがんげんぱ)大和尚を初代として開山され、妙雲寺十五代までは高傳寺の本寺格であった。入江家は、東京護国寺にある大隈重信と同じ墓地内にも墓碑がある。
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◆入江分家は維新後佐賀を出、大阪・東京:札幌などの各地で企業や医学医業・開拓事業などに携わり、本家を含め親族からは、政府の官僚職に就いた者がいた。
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◆祖父「雄二」と祖母「うめ(梅子)」が婚姻へ至る経緯や、森琴石と大隈重信との関係は詳細不明である。祖母梅子は明治41年長男「壽太」を出産するが、明治44年23歳の若さで他界した。
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◆入江兵之介(穆遠 ぼくえん)については 「家族・係累「入江穆遠」をご参照ください。
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◆ご協力者:山崎立也(やまざき りゅうさい)氏=佐賀県神埼郡「妙雲寺」ご住職
藤野栄子氏=東京都、入江俊次郎孫
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◆文献=「入江氏系図」(鍋島文庫 複本211-12)
「三田川町史」(昭和53年・神埼郡三田川町編)
以上、佐賀県立図書館 資料課
「入江家系図」(昭和17年12月・入江貞次郎氏作成) |