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平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します
■ | 森琴石と同居していた、孫の「森 加津 もり かつ」が、婚姻時 注1に持参した雛道具類は、森琴石自筆の備忘録類で包まれていた。「日記」・「自画や、他の画家の箱書や鑑定の覚書き」など、数種類のものが残る。いずれも、琴石が記録したもののごく一部である。 その中の一つに、清国文人との「筆談 注2」がある。筆談は、当時来舶した中国文人との「会話や意思の疎通 」が出来る唯一の手段であった。森琴石は、南画の発祥地である中国文化に対し、尊敬と憧れの念を強く持ち 注3、清国の文人墨客が来るという「情報」を、先輩や同輩よりいち早く得るや、大阪や神戸港に来舶するのを待ち受け、自宅に招くなど 注4、積極的に詩書画などの指導を仰いだ。清国文人の書画帖は、「浪華画学校・支那画の教師 注5」となった時の「教材」として使用された。自身の勉強のみならず、彼らを地方の文人、名家・旧家などの趣味人に紹介した 注6。 森琴石への揮毫作品や 注7、森琴石の画帖、画譜、響泉堂刻の書誌類には、多数の清国文人達が「序文・題字・跋文」などに揮毫している。それらは、清国文人達の足跡を知る、手がかりになる。また「煎茶会の図録」からも、交流や足跡を知ることが出来る。 「王 冶梅 おう やばい 注8」・「陳鴻誥 ちん こうこう 注9」(陳曼寿)らが、日本で編さんした「画譜」や、「漢詩集」からも、多くの足跡や交流関係を知る事ができる。交流した日本の漢詩家による「漢詩集」には、それら清国文人達の名が多く出ている。
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