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当ホームページでは「長三洲」や「福原周峰」らと交流があり、赤間関での足跡が多いなど、山口県との関わりが深い森琴石であるが、日本最古の天満宮※として名高い「防府天満宮」には、門弟「伊藤石僊」の「松崎神社社頭図(大正3年)」と「山水仙館図(大正4年)」の2つの作品が、奉納画として所蔵されて入る事が判明した。この度「防府天満宮権禰宜 越智宣彰氏」のご厚意により、作品の画像のご提供と、伊藤石僊の住所についての情報を寄せて頂きました。松崎神社とは昔の防府天満宮の名称で、他に松崎社、宮市天神社などと呼ばれていたという。
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「伊藤石僊」は、森琴石が明治30年に、日本美術協会に提出した門人名簿には、住所は現出雲市(島根県)と書かれている。戦前の伝記では、「森琴石に画を学び、秋田伝神画会や日本美術協会大阪支会展等で授賞し、住所は山口県佐波郡宮市」とある。佐波郡(さばぐん)宮市は、防府天満宮下の門前町の事で、境内のすぐ下に住んでいたらしい。現在は商店街となっているという。天満宮によれば、昭和20年代に火災があり、奉納画の経緯を記録した台帳は焼失し、伊藤石僊について、これ以外の情報は無いとの事です。
※防府天満宮=延喜元年菅原道真が大宰府への左遷と途次、当地勝間の浦に着船し暫くご滞在した。道真公は酒垂山に登り、「身は筑紫にてはつるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」と誓い、大宰府へと旅立った。延喜3年(903年)菅原道真公逝去の翌年、酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号した。これにより菅原道真を祀る日本で最初の天満宮となった。北野(京都)、大宰府と併せ日本三大天神と称せられる。同天満宮は、菅原道真公の他に、天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、野見宿禰(のみのすくね)の四柱が祀られている。(「周防宮市 松崎神社略誌」、防府天満宮由緒=防府天満宮HP」など)
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「松崎神社社頭図」は、端正な筆致で描かれている。師匠森琴石が手がけた寺社関係の絵図には「天台宗総本山 比叡山延暦寺略図」や「奈良名所独案内 全」などの銅版画作品がある。伊藤石僊は、師匠森琴石に倣い、幅広いジャンルの絵画が描けたようだ。
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「平成20年2月【1】」でご紹介しましたが、森琴石は、明治36年、大阪府守口市の佐太天満宮に「楳之図」を奉納しし、教科書や地図などの印刷物では膨大な足跡を残している。森琴石門下には、「近藤翠石」や「嘉本周石」、「佐野岱石」、「堀内謙吉」、「増田東洲」、「氈受楽斎」、「山名友石」など、書物で足跡を残した者も多く、「伊藤石僊」や「鎌田梅石」のように、家系が絶えたかも知れないと思われる門下が、史跡に名を留めたり、奉納画として残されているのは非常に喜ばしい。下●に、足跡の一部を記述しました。
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●門下の「近藤翠石」は、大分県耶馬渓にある岩窟の古刹 「豊前国耆闍窟羅漢寺勝景図(明36)」を描いている。羅漢寺は曹洞宗の寺院で、日本三大五百羅漢の一つで、 3770体もの石仏が並んでいる景勝地。
●「平成19年11月【1】」では、門下「鎌田梅石の大阪市中央区八幡町の「御津八幡神宮」に立つ<石敢當>をご紹介。
●「舩田舩岳」は生地の「住吉神社」には、故郷の「船上山 せんじょうさん」を描いた奉納水彩画が架けられている。
●「田川春荘」は、生地宝塚に近い伊丹市の稲野小学校に「孔子子弟薫陶図」を寄贈している。
●「堀内謙吉」は、耳鼻咽喉の名医として著名。著書に「咽喉新書(明36)」あり。」近月中に「門人紹介:大阪市内 東区」にてご紹介の予定です。
●緒方洪庵の外孫「堀内謙吉」は、耳鼻咽喉の名医として著名。著書に「喉科新書(明36)」あり。近月中に「門人紹介:大阪市内 東区」にてご紹介の予定です。
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「伊藤石僊」は、大正8年、森琴石の喜寿を祝う”記念品贈呈者”に名を連ねている。その後の足跡は不明であるが、『美術研究(Bijutsu kenkyû:The journal of art studies)第 331~335 号』の中に、伊藤石僊に関しての何らかの情報があるようだ。
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尚「防府天満宮権禰宜 越智宣彰氏」からは、参考の為にと、「周防国宮市(旧号天満宮)松崎神社之図」をご送付頂き頂きました。左端下に小さく<明治33年7月 印刷 大阪森川印刷印刷所」とあり、画者の名前は無い。森川印刷には、森琴石と交流があった「森川桑三郎」が存在する。
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