森琴石(もりきんせき)1843~1921
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森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成23年(4月)

  今月の話題

【1】 門弟情報
山口県防府天満宮に 門弟「伊藤石僊」の奉納画が2点所蔵
【2】 お知らせ
森琴石[響泉堂]ホームページをCD化します
【1】

当ホームページでは「長三洲」や「福原周峰」らと交流があり、赤間関での足跡が多いなど、山口県との関わりが深い森琴石であるが、日本最古の天満宮として名高い「防府天満宮」には、門弟「伊藤石僊」の「松崎神社社頭図(大正3年)」と「山水仙館図(大正4年)」の2つの作品が、奉納画として所蔵されて入る事が判明した。この度「防府天満宮権禰宜 越智宣彰氏」のご厚意により、作品の画像のご提供と、伊藤石僊の住所についての情報を寄せて頂きました。松崎神社とは昔の防府天満宮の名称で、他に松崎社、宮市天神社などと呼ばれていたという。


伊藤石僊」は、森琴石が明治30年に、日本美術協会に提出した門人名簿には、住所は現出雲市(島根県)と書かれている。戦前の伝記では、「森琴石に画を学び、秋田伝神画会や日本美術協会大阪支会展等で授賞し、住所は山口県佐波郡宮市」とある。佐波郡(さばぐん)宮市は、防府天満宮下の門前町の事で、境内のすぐ下に住んでいたらしい。現在は商店街となっているという。天満宮によれば、昭和20年代に火災があり、奉納画の経緯を記録した台帳は焼失し、伊藤石僊について、これ以外の情報は無いとの事です。


※防府天満宮=延喜元年菅原道真が大宰府への左遷と途次、当地勝間の浦に着船し暫くご滞在した。道真公は酒垂山に登り、「身は筑紫にてはつるとも、魂魄は必ずこの地に帰り来らん」と誓い、大宰府へと旅立った。延喜3年(903年)菅原道真公逝去の翌年、酒垂山に社殿を建立して松崎の社と号した。これにより菅原道真を祀る日本で最初の天満宮となった。北野(京都)、大宰府と併せ日本三大天神と称せられる。同天満宮は、菅原道真公の他に、天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなどりのみこと)、野見宿禰(のみのすくね)の四柱が祀られている。(「周防宮市 松崎神社略誌」、防府天満宮由緒=防府天満宮HP」など)


「松崎神社社頭図」は、端正な筆致で描かれている。師匠森琴石が手がけた寺社関係の絵図には「天台宗総本山 比叡山延暦寺略図」や「奈良名所独案内 全」などの銅版画作品がある。伊藤石僊は、師匠森琴石に倣い、幅広いジャンルの絵画が描けたようだ。


平成20年2月【1】」でご紹介しましたが、森琴石は、明治36年、大阪府守口市の佐太天満宮に「楳之図」を奉納しし、教科書や地図などの印刷物では膨大な足跡を残している。森琴石門下には、「近藤翠石」や「嘉本周石」、「佐野岱石」、「堀内謙吉」、「増田東洲」、「氈受楽斎」、「山名友石」など、書物で足跡を残した者も多く、「伊藤石僊」や「鎌田梅石」のように、家系が絶えたかも知れないと思われる門下が、史跡に名を留めたり、奉納画として残されているのは非常に喜ばしい。下●に、足跡の一部を記述しました。


●門下の「近藤翠石」は、大分県耶馬渓にある岩窟の古刹 「豊前国耆闍窟羅漢寺勝景図(明36)」を描いている。羅漢寺は曹洞宗の寺院で、日本三大五百羅漢の一つで、 3770体もの石仏が並んでいる景勝地。
●「平成19年11月【1】」では、門下鎌田梅石の大阪市中央区八幡町の「御津八幡神宮」に立つ<石敢當>をご紹介。
●「舩田舩岳」は生地の「住吉神社」には、故郷の「船上山 せんじょうさん」を描いた奉納水彩画が架けられている。
●「田川春荘」は、生地宝塚に近い伊丹市の稲野小学校に「孔子子弟薫陶図」を寄贈している。
●「堀内謙吉」は、耳鼻咽喉の名医として著名。著書に「咽喉新書(明36)」あり。」近月中に「門人紹介:大阪市内 東区」にてご紹介の予定です。
●緒方洪庵の外孫「堀内謙吉」は、耳鼻咽喉の名医として著名。著書に「喉科新書(明36)」あり。近月中に「門人紹介:大阪市内 東区」にてご紹介の予定です。


「伊藤石僊」は、大正8年、森琴石の喜寿を祝う”記念品贈呈者”に名を連ねている。その後の足跡は不明であるが、『美術研究(Bijutsu kenkyû:The journal of art studies)第 331~335 号』の中に、伊藤石僊に関しての何らかの情報があるようだ。


尚「防府天満宮権禰宜 越智宣彰氏」からは、参考の為にと、「周防国宮市(旧号天満宮)松崎神社之図」をご送付頂き頂きました。左端下に小さく<明治33年7月 印刷 大阪森川印刷印刷所」とあり、画者の名前は無い。森川印刷には、森琴石と交流があった「森川桑三郎」が存在する。


【2】

森琴石[響泉堂]ホームページ をCDにします


●森琴石[響泉堂]ホームページ公開の経緯


森琴石[響泉堂]ホームページは、平成15年5月20日に公開致しました。

公開の経緯は
平成10年9月、神戸市立博物館で展示された森琴石の作品中、緻密な銅版地図に目を引かれ、
”このような血の滲むような根気が必要な作品を手がけた、曽祖父「森琴石」とは、如何なる人物でどのような生涯を辿ったのか?” と、知りたくなりました。
そしてそれらをまとめ”記念誌”的なものを作ろうと考えました。
森琴石の生誕160年となる<平成15年春>を刊行の目標と定めました。

以来、実に多くの方々のご協力を得、作品探しや資料収集に励みました。
結果、多くの作品や所蔵者が見つかり、取得した資料は膨大なものとなりました。

そして記念誌にするには資料が多すぎ収録し切れない、資料を生かし切れない事に気づきました。
森琴石の業績や人物像、交流関係が明るみになるにつれ、森琴石が”ただ者では無かった”事にも気づいたのです。


そこで、少しでも森琴石の名前を知って頂きたい、又せっかくの資料を無駄にしたく無いと、ホームページで情報を公開する事を思い立ちました。
ホームページの仕組みや作り方も知らないし、パソコンの知識も技術も無い、文章力も知識も無い・・・・・無い無いづくしのずぶの素人が<森琴石の文献の伝記と、素人が撮った精度の低い紙焼きの写真>だけを材料に、森琴石[響泉堂]ホームページは、大胆なスタートを切ったのでした。

簡単な紹介文と、略年表、作品紹介が1回目の内容でした。
ホームページのレイアウトは全て㈱アズマで手がけて頂きました。
公開初日から、アクセス数が驚くほどの数字になったのが不思議に思った記憶があります。
1年後の6月、思いがけずも、ALL ABOUT JAPAN「スーパーおすすめサイト大賞2004 エンターテイメント 日本画」を受賞しました。
当初の内容を見ていただければ分かりますが、非常に稚拙なものでした。
(ALL ABOUT JAPANサイト内には”ひ孫夫婦が資料収集 森琴石のホームページ”と題して残っています)

以後は、パソコン操作に少し慣れ、画像を添付したりして、現在はほぼインターネットで出ている画面と同じ状態で原稿が作れるようになりました。
内容は、皆様方のご協力を支えに、ただ熱意だけで作り上げて参りました。


●森琴石[響泉堂]ホームページ のCD化について


平成22年12月18日、待望の『森琴石作品集』が刊行されました。

刊行は当初の予定より8年遅れましたが、想定していたものをはるか凌ぐ充実した内容のものとなりました。

その陰には、森琴石調査に快く応じて頂いた、当ホームページへの多くのご協力者の存在がございました。

私共は近年、パソコン操作や根気を要する作業が、身体に障るようになって参り、このままでは、当ホームページを突然中断する時期が来る可能性がございます。

以前より、当ホームページを活字化し、記録として残すべきだというご意見を頂戴していました。
しかしホームページの項目や内容量が多すぎ、活字化するには無理があります。

そこで、記録として残すにはCDにするのが良策と考えました。

CD化するに当り、当ホームページを再編集する事も考えましたが、時間も人手も無く、素人が手がけた下手さ加減も当ホームページの特徴でもありますので、索引や画家系譜などをもう少し充実させ、ご協力者氏名を明記した上で、現状のままをCD化させて頂く方針です。

CDが完成しましたあかつきには、当ホームページへご協力頂きました皆様方に進呈させて頂きます。

これまでにお寄せ頂きました皆様方のご好意やご協力に 心より感謝申し上げます。



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石敢當 梅石書