しかし戦禍を免れ、「鎌田梅石」の足跡が大阪の中心部に残されていた。大阪市中央区八幡町の「御津八幡神宮 注2」には、「石敢當 梅石書 注3」と刻まれた「石敢當」が、井戸と俳句の記念碑の間にひっそりと佇んでいる。「石敢當」の文字は「鎌田梅石」により書かれたものである。
『石敢當」は、中国の後漢時代(200年から1800年前)に始まり、8・9世紀頃から各地に広まった風習で、道路のつき当たりや門・橋などに置く<魔よけ石>の事である。日本では沖縄や鹿児島に特に多く分布する。大阪市内での「石敢當」は、現在4ヶ所確認されている。
現在大丸南館がある場所に、当時旅館を経営していた<木村氏>が、自宅前に魔よけのおまじないとして設置した(年月不明)。その後ビルへの建て替えにより屋上に置かれた。更に後年、ビルは取り壊され「石敢當」は廃棄される事となったが、近くの「御津八幡宮」から救いの手が差し伸べられた。平成16年、「石敢當」は同神社に移設され現在に至っている。
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