浪華画学校・浪華学画会・絵画共進会について
★以下は「大阪文化史研究」(魚住惣五郎編・星野書店・昭和18年)の中、目次10「浪華畫學校の顛末」(木村武夫氏文章)に基づき、まとめたものです。項目末尾に、木村武夫氏の本文から抜粋転載したものがあります。
★浪華画学校、浪華学画会、大阪画学校に関する資料は、上記「浪華畫學校の顛末」が唯一の文献資料でもあるとの事。
浪華画学校
設立年 |
:明治17年7月11日 |
場所 |
:大阪市東区道修町5丁目27番地 |
校主 |
:樋口三郎兵衛 |
皇国画教員 |
:守住貫魚・狩野永祥(病床にあったか?間もなく西山完瑛に代わる)・上田耕冲・森閑山 |
支那画教員 |
:水原梅屋・森琴石 |
賛成者 |
:寺西易堂・小寺篤兵衛・清見安五郎・田中耕雨・嘉納三影・樋口重郎兵衛 |
世話掛 |
:上野寛三・中村久兵衛 |
★浪華画学校についての研究は未だ解明されておらず、展覧会では、教員となった上田耕冲が、池田市立歴史民族資料館で「’94 特別展 日本画家 上田耕夫・耕冲・耕甫 展」で紹介されたのみ。
現在、芦屋市立美術博物館「大坂慕情 ~なにわ四條派の系譜~」展で、西山完瑛及び、上田耕冲の弟子上田耕甫の作品が展示されています。
★当HPでの浪華画学校についての記述=「平成16年4月注5」
★寺西易堂と森琴石は、若年から晩年まで親交した間柄・嘉納三影は「藤本鉄石先生薦場余録」で、森琴石と共に名があり、森家の画帖にも揮毫画がある。
浪華学画会
明治18年7月 |
:森琴石等が発起(浪華画学校を中心とした画会) |
副会頭 |
:宮崎銕幹(前東区長) |
幹事兼主計 |
:樋口三郎兵衛 |
委員 |
:森琴石・矢野五州・水原梅屋・上田耕沖 |
↓
絵画共進会
上記浪華学画会の条件に加え、事務所を樋口三郎兵衛邸に置く
明治18年11月:絵画共進会開設請願及び補助金の申請(府庁)をする
-願書は「浪華学画会第一回報告書」にあり-
↓
西村捨三知事が補助金参百円を下付。
絵画共進会は明治23年9月1日より大阪府立博物場に於て開催、殊の外盛会だった。
-「日本美術協会報告第三十三号」にあり-
大阪画学校★
明治23年5月22日:大阪画学校開設に関する伺書の提出
明治23年5月25日:教員組織が決定
場所:東区横堀1丁目20番屋敷
校主:宮崎銕幹
教員:上田耕沖、森琴石
学事評議員:森關山、田能村小斎、中川蘆月、水原梅屋、助教 庭山耕園・近藤翠石※
★大阪画学校=「続浪華摘英」(三島聴恵発行兼編輯・大正5年12月)での「近藤翠石先生」の伝暦には、[明治23年浪華畫會畫學校(浪華画会画学校)開設するや庭山耕園と共に助教授を勤む]と、記述されている。大阪画学校の名称については検証の必要がありそうだ。
※森琴石が近藤翠石に宛てた書簡に、「庭山耕園」と深交した新聞記者に関する記述がある(大正期くらい)
●「大阪文化史研究」(魚住惣五郎編・星野書店・昭和18年)より 抜粋転載
目次 10:木村武夫「浪華画学校の顛末(375頁~401頁)」の中、399、400頁を抜粋転載しました
またこの年七月森琴石等が発起となって浪華画学校を中心とした画会、即ち浪華学画会なるものが設けられ、副会頭に前東区長宮崎銕幹を仰ぎ樋口は幹事兼主計、琴石、五州、梅屋、耕沖が委員となっている。事務所を樋口邸に置き、十一月絵画共進会を開かんことを府庁に願出で併せて補助金の申請をしている。願書は浪華学画会第一回報告に載っているが、その中注目すべき箇所は、やがて別個の画学校設立を企てんとしている事である。時の知事西村捨三は補助金参百円を下付して好意を示した。かくて絵画共進会は廿三年九月一日より大阪府立博物場に於て開催せられ、殊の外の盛会だった事は、日本美術協会報告第三十三号に報ずるところである。一方別個の画学校設立の件は、廿三年五月廿二日大阪画学校開設に関する伺書の提出となり、廿五日教員上田耕冲、森琴石、学事評議員森關山、田能村小斎、中川蘆月、水原梅屋、助教庭山耕園、近藤翠石と云う教員組織が決定し、校主は宮崎銕幹、場所は東区横堀一丁目廿番屋敷と迄、その計画が進捗したが、実はその後の消息が今の私にとっては一切不明である。従ってこの大阪画学校と浪華画学校とは如何なる関係にあったかも、目下のところ明らかする事は出来ない。推測するに樋口はこの時難華畫学校をもこの新設校に合流せしめ、以てこれよりよき画学校建設を考えたのではなかったらうか。
恐らく浪華画学校の最盛期に於て、よりよき発展の為に企てられたこれ等の諸計画中に、実は浪華画学校の急速なる閉鎖をもたらした原因が存在したのではなかったらうか。本校がより公的なものにならんとした時、樋口個人の本校に対する熱情はそれだけ冷却して行ったのではなからうか。本校の閉鎖は明治廿五年頃と云う。この前後の消息を知る資料も今のところ私は知らない。 |