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4月末、琴石門下「波多野 華涯 ※」ご子孫より、波多野女史が 東遊の際「朱印然 しゅ いんぜん」が、留別の詩文を寄せた書幅 の写しをご送付頂く。明治14年11月、森琴石の「読画楼 どくが ろう ※」に「王冶梅おう やばい」を招き、酒宴のあと花涯女史の 旧作詩に感銘を受け、「王冶梅」が唱和した詩書が存在した。 |
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朱印然の詩書
最是離情歳暮身、寒蟲凄切更為鄰。
原知閨閣藏清質、何事蓬帆繋此身。
澱水細流含恨去、海門相望寄書頻。
勸卿自把光陰惜、莫負東都墨塢春。
花涯女史東遊、有留別詩、次其韻、
聊為祖程、似正。清國朱印然拜手。
[訓読]
最も是れ離るるの情、歳暮の身、寒蟲、凄切にして更に鄰と為る。
原(も)とより知る閨閣清質を藏す、何事ぞ蓬帆、此の身を繋ぐ。
澱水の細流、恨みを含みて去り、海門に相ひ望む書を寄することの頻りなるを。
卿に勸む自ら光陰を把りて惜み、負く莫かれ東都の墨塢の春に。
花涯女史、東遊せるに、留別の詩有り、其の韻に次し、
聊か祖程を為して正すを似(ま)つ。
清國の朱印然、拜手す。
翻刻並びに訓読=陳 捷(ちん しょう)氏(国文学研究資料館助教授)
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王冶梅(おう やばい)の詩書
才高咏絮(草冠+惠)蘭心、絶妙無花無月吟。
且待春江花月夜、聽君一曲暗香琴。
光緒七年冬十一月、琴石先生招飲於讀畫樓。
席上讀花涯女史無花無月舊作、
欽佩之至、援筆奉和芳韻。醉後率爾操觚、
不復計其工拙耳。金陵王冶梅初稿。
[訓読]
才高し咏絮の(草冠+惠)蘭の心、絶妙なる無花無月の吟。
且く待つ春江花月の夜、聽く君の一曲、暗香の琴。
光緒七年冬十一月、琴石先生、讀畫樓に招飲す。
席上にて花涯女史の無花無月の舊作を讀み、
欽佩の至り、筆を援りて芳韻に奉和す。醉後、率爾に操觚し、
復た其の工拙を計らざるのみ。 金陵の王冶梅の初稿。
翻刻並びに訓読=陳 捷(ちん しょう)氏(国文学研究資料館助教授)
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波多野華涯=最新情報「平成17年3月末尾」の項目をご覧ください。 |
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読画樓(どくがろう)=森琴石自宅の画室につけた名。 |
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資料ご提供者=小田切マリ氏(つくば市・波多野華涯曾孫) |
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5月初旬、岡山市妹尾(せのお)及び倉敷市を訪問する。森琴石に画 を学んだ妹尾生まれの「佐藤僊友 注1 」は、呉服商「今屋 注2」を 営み、傍ら趣味人として過ごし、福祉慈善活動も良くした。石癖 注3 ・中国趣味が強く、「王一亭」・「長尾雨山 注4」や政治家「犬養 毅 注5」と交 流があった。京都や大阪に行き書画の収集も良くした。佐藤家に残る扇 面書画帖や画巻には、森琴石と近い文人達が揮毫している 注6。明治 17年に描かれた「胡鉄梅 こてつばい」による「不老富貴乃図」が残され ている。 |
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倉敷市立美術館で展覧されている、響泉堂刻「明治紀念標 百分一縮 図 注7」は、総社出身の画家「堀 和平 注8」の油絵の裏面 に挿まれていた銅版画である。「堀和平」は明治13年、「有馬湯山町 注9」に三十余 名で滞在した。その「書画帖 注10」を拝見する。
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5月中旬、森琴石が明治26年福井県武生(たけふ)で描いた「梅渓 帰隠」など、二図の存在が判明した ※ |
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当ホームページは、2005年5月20日で満2年経ちました。
その間多方面からアクセスを頂きました。HPの初頭頁左下にある数字は、当ホームページへのアクセス件数です。 2005、6/3 、am8:00 時点で23、168件となりました。今後とも当ホームページをよろしくお願いいたします。
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