佐藤愛山
佐藤愛山は通称喜八郎、諱は長經、字は伯徳又静古堂と号す。
松江市白潟本町に生る。資性温厚篤実、夙に和漢の学を修め、傍ら茶事に通ず。
農事の改良を以て自ら任じ、前田正明、品川弥ニ郎(彌ニ郎)子等の指導を得たり。
明治二十三、四年頃出雲地主農談会を創設し其会長たり。
後島根県多額納税者選出貴族院議員に任ぜらる。
壮年天野嗽石*の門に入り南画を学ぶ。好んで山水梅花を描く。
晩年耳聾し社交に便ならざるを以て世事を謝し絵事に親しむ。
大正9年三月三日歿。享年76歳。
※天野嗽石=後日索引にてご紹介します
―「島根県画人伝」 (桑原羊次郎☆/島根県美術協会/昭和10)―
☆桑原羊次郎氏=平成18年4月【2】注4:豊公遺物展覧会出品者名の中ほどに名前があります
備考
I:名を佐藤 彝経(さとう のりつね)ともいう。
II:漢学を山村勉斎(良行)※に学び、著書(校正)に「今体蘇詩一班 2冊」(山村良行編/佐藤彝経&吉野和成校/東京 修文館/明22.1)がある。
III:森琴石とはほぼ同年代(生没年が1,2年早い)。
※山村勉斎=出雲生まれ。出雲の儒者(廣瀬藩儒)。名は十郎から良行に。字は聞伯。号は勉斎、別に半城。
師匠は塩谷宕陰・大沼枕山。維新後、島根県師範学校講師となる。明治44年、72歳歿。
その他書誌=「広瀬藩儒山村勉斎覚書−幕末儒者の生涯 −」(山村良夫/飯塚書店/昭和53年)
★資料ご提供=大原俊二氏((米子市史編さん事務局事務総括・・米子市図書館協議委員・米子藤樹会理事) |