森琴石(もりきんせき)1843~1921

森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成20年(4月)

 
今月の話題
【1】 森琴石の初号 「蘆橋」
画号の変遷
蘆橋  ⇒金石  ⇒琴石(栞石)

【1】

手元に、文久~明治初期にかけて、森琴石の初号と思われる習作が残る。17歳から25,6歳、若い盛りの頃のものである。それらには「蘆橋」や「漁隠」という文字が記されている。いずれも文久、慶応年間の作品である。これらは師匠「鼎金城」や、<中国文人画家>の写などである。慶応3年、「漁夫図」を写した習作の裏面には「緑塢所蔵の副也」と書かれている。

明治元年の習作には「闇泉舎」と記され、明治4年10月、友人「中野雪江」のために描いた「雪景山水図」は<号 金石>で、「響泉亭」で描いたとある。森琴石の銅板工房名「響泉堂」に繋がるようだ。

これら習作の落款からは、師匠「鼎 金城」の足跡を知る事が出来ると共に、森琴石の、幕末~明治初期にかけての足跡を知る手がかりともなる。下記に初号の落款や、号変遷の経緯をご紹介します 注1

森琴石は自身の伝記では、幕末時の事は、南画や儒学を師事した以外の事には触れていない。
「鼎金城」の師匠「廣瀬旭荘」が綴った「日間瑣事備忘」や、廣瀬旭壮が口述し、「長三洲」が筆記した「九桂草堂随筆」などからは師匠「鼎金城」や兄弟子「行徳玉江」の行動が、僅かながら知ることが出来る。
森琴石と親交した「依田学海」が綴った「学海日録」 注2、あるいは森琴石の儒学の師匠「妻鹿友樵家」の備忘録、更に、当ホームページの<関係人物>でご紹介の人物から、森琴石の周辺の人物の足跡がかなり明らかになってきている。森琴石の幕末時、それら先輩や同輩たちとネットワークを拡げながら、同じ文化圏の中で行動を取っていたと思われる。

森琴石が晩年に記した「覚え書き」に、当時手元にある森琴石自身の作品や、他の画家の箱書き・鑑定を依頼されたものを書き留めたものがある。
その「覚え書き」によれば、森琴石の作品の中に、安政5年10月、15歳の時に描いた、紙本半切條幅「渓山観瀑図」がある。この作品は<森琴石遺墨帖>にもこの作品名は見当たらず、また現存もしないようだが、森家調査分では一番古い作品である。「覚え書き」は、森琴石に関しての情報となるものが記載されていますので、後月に少しご紹介したいと思います。

 
 
注1
 

<文久~明治初期> -森琴石の習作の落款から見る号の変遷 -

 -号の変遷は、森家所蔵分での資料に基づくー


●「蘆橋」

「花木図」落款
花木図
1:文久1年
「花木図」=汪淋の写し/原本は戊午(安政5年)に描かれたもの
落款=「戊午長夏(にんべん+方)銀梗老人画添海上汪淋作 文久辛酉弥生 蘆橋生」
「くちなし・百合・桜桃図」=鼎金城(弘化3年筆)の模写
落款=「弘化丙午清和月摸 金城生  文久辛酉弥生 蘆橋生」
2:慶応1年
「童子と尾長鳥図」
落款=乙丑夏日 蘆橋生態
「梅花書屋図」=安政4年の鼎金城(丁己冬)の写し 丁己=安政4年
落款=「慶應元乙丑新秋萬柳江邨漁隠 蘆橋釣者模本」
3:年号不明
「三俳聖図」=四条派の模写・芭蕉・榎本其角・荒木田守武の三俳人を描く
落款=蘆橋生寫

●「漁隠」

慶応2年12月
「富士山図」(模写)
落款  裏面に「丙寅晩冬於万柳江邨 漁隠募
「双鶴図」
落款=「丙寅嘉平月念一日 於万柳江邨 漁隠」 嘉平月念一日=12月1日
●慶応3年
「漁夫図」=李澯の模写
落款  裏面に「丁卯桂月初三日 緑塢所蔵の幅也」
緑塢=慶応2年に亡くなった、丹後宮津藩儒「尾見緑塢」の可能性あり。
(尾身緑塢=名忠鵠・通称龜之助・師匠は小浜藩儒山口菅山・慶応2年9月61歳歿)
●明治元年12月
「李こう(皐+羽) 問答図」=王建章写し・水墨画と淡彩画の2種あり
落款    裏面に「戊辰晩冬募闇泉舎」
●明治2年
「松下高士図」=紙本淡彩・泉石蔵の模写 泉石=人物は特定できていない
落款 裏に「己巳年榴花月四日募 泉石蔵」 己巳年榴花月四日=明治2年3月4日
●明治3年  号金石
「白衣観音と牛図 模本」=紙本水墨
落款=「明治三庚薄月念五募 金石艸堂蔵」 庚薄月念五=明治3年5月25日
● 明治4年  「響泉亭」 及び  号金石
「雪景山水図」=紙本水墨・中野雪江所蔵
落款=「雪江獨釣 辛未小陽月 倣白石翁筆意畫於響泉亭 金石」  印=琴石縁
●明治5年  号琴石
「古今名家漢画要覧」(水口臥龍軒清ふう<馬+風>鉄筆・明治5年)・・・「不判優劣・大坂」 に 森琴石の名
●明治15年8月  号栞石
「月ヶ瀬詩画」=画帖(紙本水墨)/月ヶ瀬「騎鶴楼」蔵(画帖10号5枚目)
落款=「壬午三月浪華栞石詩画」


画像

「くちなし・百合・桜桃図」

文久元年3月
鼎金城画の模写・画賛は朱柳橋
朱柳橋=野田笛浦と筆談を交わした清国人
・・・野田笛浦=丹後田辺(舞鶴)藩儒者⇒廣瀬旭壮(三)交流者江戸・「平成19年3月【2】注5岡田篁所


くちなし・百合・桜桃図1
くちなし・百合・桜桃図2
画賛:朱柳橋
くちなし・百合・桜桃図3
    お断り:右2行下方2文字は画像取り込めていません



「童子と尾長鳥図」
慶応1年
「梅花書屋図」
慶応1年・・・・鼎金城の画(安政4年)を写したもの
童子と尾長鳥図
梅花画屋図
森琴石落款
 
森琴石落款
鼎金城落款の写し


「三俳聖図」
年号不明(蘆橋生とある事から文久年間か?)・丸山派の模写

三俳聖図




荒木田守武
芭蕉
榎本其角

注:現在資料が不明の為、過去に写した紙焼き写真使用しています・色調などが実物と違います



「漁夫図」
慶応3年8月3日・<李澯>の模写・緑塢所蔵・紙本淡彩
漁夫図 ←(裏面文字) 漁夫図


★作品名及び作品の説明は、一部を除き、平成12年春、成澤勝嗣氏(早稲田大学文学学術院 准教授)にご協力を頂いていました。

 
注2
 

「依田学海」については、時間不足などから、まだ<雅友・知友>でご紹介出来ていません。

「学海日録」(学海日録研究会編/岩波書店)は、依田学海が安政3年から、明治34年までの45年間、学海の周辺の膨大な人物や出来事が綴られており、江戸末期から明治期の、日本を知る為の不可欠な資料である。

当HPでの記述箇所=「平成12年8月」・「平成16年2月■4番目」・「平成17年4月」・「平成19年8月■3番目」・「平成19年12月【2】 3『騎鶴楼名家遺墨聚芳』」・関連資料:「学海画夢」・索引:「足立敬亭◆3つ目

 


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