森琴石(もりきんせき)1843〜1921

森琴石 調査情報

平成10年10月〜現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成19年(12月)

 
今月の話題
【1】 元旦試筆について
【2】 書誌紹介
『寰瀛記 かんえいき 小説 柳 楢悦』
『漢文脈と近代日本』
『騎鶴楼所蔵名家遺墨聚芳』
【3】『墨香画譜』より・・・・・ のある画

【1】

「元旦試筆」とは、画家がその年の初め<元日に描く画>の事をいう 注1

森琴石が大正10年、亡くなる(2月24日)2ヶ月前の元日に描いた<元旦試筆>は、文人森琴石が、永遠のテーマとした <不変の愛>を象徴する <奇石>を描いた  注2。 画題は「壽石之図」という。これが森琴石最後の作品となった。

森家にはラフに描かれた<元旦試筆>の下絵や、元旦試筆の扇面が5,6点残されている。下記に扇面作品の一部をご紹介します 注3

森琴石は毎正月「松・竹・梅」など、簡単な自筆の小幅軸を箱に入れ、年賀に訪れた門生ひとりひとりに手渡していたという。 門下生が一番多かった時期には、百本ほど描いていたそうである。

 
 
注1
 

元旦試筆=元旦始筆とも書き、書家が最初に書く書も同様である。

 
注2
 

森琴石の石癖(奇石鑑賞や奇石収集)=「平成19年4月【1】」・リンク情報「鎌倉琴社 雑記録」・「森琴石紹介(浪華摘英)」・資料:詩賛「題 琴石」 ・「六石山傍図」詩賛・「寿石奇千古図」&書簡「石癖栗田先生」などをご覧ください。

 
注3
 

森琴石<元旦試筆>扇面作品

(各図とも寸法は省略します)


明治41年

戊申元旦試筆 栞石

戊申元旦試筆 栞石



明治42年

「冨士青松図」
己酉元旦試筆 栞石

冨士青松図



明治43年

「旭光相映暁雲坡」

旭光相映暁雲披
萬戸千門迎歳時
雪色輝ヾ呈祥瑞
玉梅枝上曰参差

庚戌元旦試筆
併題栞石

旭天相映暁雲坡

旭天相映暁雲坡

訓読文
旭光 相映じて 暁雲 披(ひら)き
萬戸千門 歳時を迎ふ
雪色 輝々として 祥瑞を呈し
玉梅の枝上 白 参差たり
        (雪の白と梅の花の白とが入り混じっている)

☆訓読ご協力者=小林昭夫氏(千葉県松戸市・らんだむ書籍館 を公開されています)



大正8年

「老松図」
己未元旦試筆 栞石

老松図


 
【2】

森家にご寄贈頂きましたが、当ホームページでご紹介出来なかった書誌があります。下記にそれらをご紹介します。

 
 
 

書誌名50音順に記載


1:『寰瀛記(かんえいき) 小説 柳 楢悦』
山下悦夫著/東京新聞出版局/平成17年


●津藩の武家に生まれ、和算や測量、水産事業に功績を残した柳楢悦を描く長編小説。(楢悦の三男は、民芸運動の創始者柳宗悦)

柳楢悦(やなぎ ならよし)

☆天保3年9月15日、津藩の下級武士柳惣五郎の長男として生まれた。若いときから和算・測量学を学び、十代の末には、もう数冊の著書があるほどだった。安政2年、23歳の時、幕府が開いた長崎の"海軍伝習所"の第1期生として派遣される。派遣された津藩の同期生の1人に、日本の写真術の祖といわれる<堀江鍬次郎>がいた。伝習所での同期生には、勝海舟・榎本武陽・川村純義・五代友厚・佐野常民らがいた

☆明治3年、明治政府に出仕、海軍の水路部の創設に立ち会った。

海軍の測量主任として、イギリスの測量艦シルビア号とともに、帝国海軍による初めての水路測量を行った。

明治4年、海軍少佐<春日艦艦長>として北海道の近海を測量、その帰途釜石港を測量してその実測図を作製した。これが日本で最初の海図(海軍水路寮・第1号)「陸中国釜石港図」である。

明治10年、神田孝平とともに日本最初の学会となる<東京数学会社>を創設。

☆明治13年(1880)海軍少将となり、三度目の妻として<嘉納次郎作>の娘(勝子)を迎えた。明治21年、大日本水産会幹事、明治23年第一回貴族院議員となる。明治24年1月15日肺炎で歿する。
嘉納次郎作(治朗作)=近江の神社の神主の子として生まれ、菊正宗の醸造元である、灘の造り酒屋の娘と結婚して嘉納姓となるが、家督は継がずに幕府海軍の御用をつとめ、維新後は海軍に入って権大書記官まで昇進した=寰瀛記より
御木本幸吉を指導し、それが後に御木本が真珠の養殖の成功した事へと繋がる。

☆号を<小洲 >と云い、書を長三洲から学んだ。
☆花卉・園芸を趣味とし、邸内に「百樹園」と名付けた花卉園を設け、多数の花卉と共に外来種の新種を栽培していた事で知れる。恵泉女子大学教授を勤めた柳宗民園芸家として著名=寰瀛記より


★ご寄贈者=山下悦夫氏(以前より柳楢悦に着目していたところ、山下氏の小説の存在を知り、著書の購入を申し込みましたところ、山下氏のご好意によりご寄贈頂きました。)
★山下悦夫氏=神奈川県横須賀生まれ。第一水産講習所(東京水産大学・現東京海洋大学)を卒業後、海上保安庁、三重県庁、漁業団体などに勤務。文学歴として小説「海の挽歌」(文芸社/平成13年)などがあり、第三及び第5回鳥羽市マリン文学賞入賞・第三回伊豆文学賞入賞などの受賞歴がある。


柳 楢悦(やなぎ ならよし)氏に着目する理由

◆森琴石の周辺には、佐野常民など、長崎の海軍伝習所で学んだ人物がいる。(佐野常民=平成19年7月【1】注6・海軍伝習所=関連資料:ポンペと中野雪江)。
◆江戸末期から明治時代、森家と嘉納氏とは親戚だったとされ、森家の曽祖父「入江俊次郎平成17年2月■3番目)」の妻の身内が嘉納家と縁組している。江戸時代の森家は、廻船関係などを家業としていた。
◆森琴石の周辺には「田中芳男」や「平瀬与一郎(平成19年9月【1】注5)」など、水産学に卓越した人物がいる。森琴石は自宅の庭に、300種に及ぶ薔薇の栽培をしていた(平成19年9月【1】)。
◆「平成18年5月【4】注3」記述の<柳荘太郎>は、柳家の血筋を引く人物のようだ。



2:『漢文脈と近代日本   もう一つのことばの世界
齋藤希史著/大橋晴夫発行者/日本放送出版協会発行/平成19年2月25日

●漢文だから表せる物の見方、感じ方がある
●<普遍的なことば>のもつ奥行きを実感する!
漢文は、言文一致以降すたれてしまったのか、それとも日本文化の基礎として生き続けているのか?思考様式や感覚を含めた知的世界の全体像を描き出す。
学問と治世を志向する漢文特有の思考の型は、幕末の志士や近代知識人の自意識を育んだ。一方、文明開化の実用主義により漢文は機能的な訓読文に姿を変え、「政治=公」から切り離された「文学=私」を形勢する。
近代にドラマスティックに再編された漢文脈を知る意欲作 −表紙の解説による−
★森琴石や周辺の文人達が、漢詩賛文を添える南画を、何故必死になり守ろうとしたか?、「平成19年5月【1】■5番目」に記述の、木蘇岐山ら漢詩家と、艶美で情緒的な東都詩壇が決別した・・・など、武士や文人が大切にしてきたもの、漢文の持つ精神性についてなど、本著により具体的に理解出来る。

★齋藤希史氏の著書については、「平成19年1月注10の記事論説文例」・「論文など:平成17年11月平成17年2月」で記述しています。

★ご寄贈者=齋藤希史氏(東京大学大学院総合文化研究科 超域文化科学専攻助教授)



3:『騎鶴楼名家遺墨聚芳』
村田榮三郎監修/鈴木望著/窪田良蔵発行者/大和月ヶ瀬 騎鶴楼発行/非売品


●梅の名所で知られる奈良市月ヶ瀬で200年続く「騎鶴楼」は、江戸時代より滞在した多数の政治家や文人墨客が、揮毫した書画を残して帰った。それら「騎鶴楼」に残る作品の一部を、作者の経歴と共に、詩賛などの読み下し文や解説が加えられたものです。


★口絵には、五姓田芳柳筆(ニ世)による好事家だった窪田兵蔵氏の肖像画があり、扁額・条幅・襖屏風・画帖と4部に分けられ、第三部の、襖・屏風の部では、森琴石の書(襖)に続いて依田学海の書(襖)が収録されている。
★騎鶴楼=「平成12年3月」・「平成17年4月」などに記述しています。

依田学海=「平成12年8月」・「平成16年2月■4番目」・「平成17年4月」・「平成19年8月■3番目」・関連資料:「学海画夢」・索引:「足立敬亭◆3つ目

★ご寄贈者=窪田良蔵氏(月ヶ瀬騎鶴楼 7代目当主)
 
【3】
 

2 0 0 8 年 が 良 い 年 で あ り ま す よ う に !!




来年の干支 「鼠 ねずみ」 が描かれた 森琴石 の木版作品

『墨香画譜』より

墨香画譜

明治13年5月20日版権免許
著者(画) :森琴石
出版人   :吉岡平助・北村宗助・森本専助・吉住音吉
発兌人   :北村孝次郎



★「墨香画譜 4冊」は、平成14年10月、栃木県真岡市の渡辺淑寛氏(渡辺私塾台町本校塾長)よりご寄贈頂きました。


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