大阪の老舗表具師「井口古今堂」の<取引先およびお出入り先住所録> に、森琴石の名と共に”北区高垣町”の住所が書かれている事が判明 注2。大阪は船場、平野町の表具商「井口古今堂」の3代目「井口藤兵衛」は、明治から大正・昭和初期にかけて「日本一の表具師」と言われ、住友吉左衛門や藤田伝三郎・鴻池家などを施主(パトロン)に持ち、阪神間の御大家のお出入り職人として書画の表装に腕を揮った。余技の指頭画の名人でもあった 注3。
美術品の修理や保存のために表装する表具師の仕事は、失敗を許されない。表具の対象となるものには、それに適した素材の知識が必要で、また古筆や古画の意味が判らないと、顧客の相談にのることができないので、漢籍や古画の素養を積み、各流派にまたがる茶道にも通じていなければならなかった。得意先の床の間の寸法なども頭に叩き込んでおく必要もあった。「井口藤兵衛」は、このようにたゆまぬ努力をし続け、施主との信頼関係を築き上げてきたのである 注3。
森琴石は「北区北野高垣町」には、明治31、2年頃から住んでいるので、「井口古今堂」の住所録も、同年以降のものと思われる。
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