森琴石(もりきんせき)1843~1921
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森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成16年(3月)

森琴石は銅版(一部木版)による教科書製作に携わっている。地図に関するものが多いが、明治9年師範学校編「改正日本地誌略、巻之一(畿内、東海道)」では訓点人 注1、明治10年刊、「大阪府管内地誌畧 注2」では、大阪市内や府下の名所の挿画をしている。明治9年「小学地図用法 大日本之部」・同10年「小学地図用法 万国之部」・同10年「小学生徒必携日本地誌略付図」があり、明治10年「新刻大日本国図 附朝鮮」は、掛図形式の彩 色地図である 注3

森琴石は、岡山県初期での教科書製作に携わっている。岡山師範学校による「「岡山県地誌略字引 三冊(備前丿部・備中丿部・美作丿部) 注4」・「漢史簡覧 注5」・「岡山県地理小誌 注6」があり、いずれも「佐久間舜一郎 注7」編さん、「大阪高麗橋 栴檀木 響泉堂刻」のものである。彩 色地図や、岡山市内や郊外の名所が挿入されている。「漢史簡覧」・「岡山県地理小誌」の、発兌書肆「西尾吉太郎 にしお きちたろう 注8」は、「山陽新報」の創設者である。

明治9年、文部省刊「馬耳蘇氏複式記簿法」(馬耳蘇マルソ 著)・明治11年、「達爾頓氏生理学図」(達爾頓 ダルトン著)など、簿記や医学の翻訳教科書にも関与している。

 
注1   訓点人=漢文を訓読する際に、漢字の上や周囲に書き加えられた返り点・ヲコト点や振り仮名・送り仮名をつける人。
注2    
 
大阪府管内地誌畧」=「布施萬」(大阪師範学校、第三大区五小区常安町、二等訓導校長)・「石井鉤三郎」(第三大学区大阪府管内第一中学区・第二大区第九番千年学校二訓導兼監事)との合著。
布施萬・石井鉤三郎=「官員録 全」・吉本偵輔編輯・明治10年)による。
 
挿画22図のうち、響泉堂〔森琴石〕 が10図。友人である大阪の銅版画師「若林長栄」〔若林春水堂〕が10図、長栄の門人が2図担当している。
「大阪府管内地誌略」→「作品紹介・銅版画
注3   「新刻大日本国図 附朝鮮」=原図、森琴石。発兌書肆は長野の書物師「江嶋伊三郎」・「西澤喜太郎」。京都・大阪・東京の市街図、長野の市街図、および上海の居留地の図も描かれている。※書誌情報=森 登氏(中央公論美術出版社)
注4   『岡山県地誌略小誌 上巻』=明治20年2月出版(岡山県立図書館蔵)
注5    
佐久間舜一郎=:歌人佐久間果 園(村田春海門の秋山光彪に学ぶ)の二男。小倉生。明治7年、のちの岡山師範学校である「温知学校(に招かれ岡山に赴任。その後長野県や秋田県にも赴任。「漢史簡覧」明治11年・「岡山県地誌略」明11年、「岡山県人物史」明治12年・「新撰女大学」明治17年・「国史一斑」「新 編北羽発達史」明治19年・「日本地理正宗」明治23年、など多数の著書がある。
「漢史簡覧」の頁初頭には「豊津 佐久間舜一郎編輯」とあるが、豊津とは、現福岡県京都郡豊津町の事である。
関係人物紹介「佐久間舜一郎」をご参照下さい。
佐久間舜一郎略伝ご提供=出口 隆氏(北九州市)
注6    
 
西尾吉太郎=明治9年上京した際に知った情 報伝達である新聞発行を思い立つ。岡山師範学校の副校長野崎又六・東京評論新聞編集長の「小松 原英太郎」らと新聞発行を準備、「大阪新報」の職工三名を雇い入れ、明治12年「山陽新報」発刊に至る。 山陽新報は山陽新聞社の前名である。
「岡山県歴史人物 事典」・平成6年・山陽新聞社発行 より
 
西尾吉太郎は自著に、「珠算問題」(明12-14年)・「筆算問題」(明15-16年)・「岡山県職員録」(明22年)などがある。
   
注7   「達爾頓氏生理学図」は、「物部誠一郎 もののべ せいいちろう」 (大阪の医師)の訳で、人体内部や顕微鏡図を、大阪の銅版画師「水口龍之介」との銅鐫共刻したもの。奥附に記述は無いが、同大阪の銅版画師「若林長英」も、一部銅刻関与している。原本摸図は「長谷川貞信翁」とある。(東京都立中央図書館蔵)
注8   「記簿法・馬耳蘇氏複式記簿法(上中下合本・響泉堂刻)」は、「一ツ橋大学附属図書館」に所蔵されている。翻刻出版人は大阪府平民、吉岡平助。


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