森琴石(もりきんせき)1843~1921

森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成22年(6月)

  今月の話題

情報ご提供2件

【1】岡山県井原市郷土史研究家「大島千鶴氏」より
●田能村直入の作品に、森琴石が箱書
   
森琴石資料の中に、諸大家の箱書及び鑑定書の記録メモ多数あり
【2】大分市「小田哲生氏」より
●小田半溪の別号の存在・・・・・「不倒翁」・「橙邨」
●小田半溪旧蔵品・・・・・・師匠「前田暢堂」の画帖 ⇒李復堂の画風
●小田半溪の画帖・・・・・新潟で見つかる
●「京都府画学校開校130年記念 京都府画学校の教育と絵手本」展



【1】

岡山県井原市の郷土史研究家「大島千鶴」氏より、「田能村直入」の「寿星図(寿老人)」に、森琴石が箱書をしているという情報が寄せられました。

「寿星図」は、1992年10月~11月にかけて、田中美術館で「田能村直入と森六峰展」に展示されたもの。「寿星図」の所蔵者は、展覧会開催時には箱書の事は念頭に無かったが、この度「寿星図」の箱書が、森琴石によるものである事に気づき、大島氏に連絡された。


平成21年6月【1】、【2】」・「平成21年4月【2】」・「平成19年7月■7番目」・「平成18年9月【1】」・「平成18年7月【1】注9」などに見られるように、この度、森琴石の箱書が確認された岡山地方は、森琴石が最も足跡を多く残した地。はるか昔、森家の先祖が此地に住んでいたと思われる。森琴石は、響泉堂刻の教科書を含め、岡山全域の地図に関わっている事などから、岡山地方とはかなり縁が深い。



森琴石の資料の中に、森琴石が亡くなる8カ月前、大正9年5月4日~12月21日迄の、箱書(鑑定)の草稿原稿が、30数枚残されている。その他、森琴石自身の作品の”覚え書き”が6枚ある。箱書の草稿には、作品名に始まり、依頼者の氏名や地名が書かれている。己の死を間近に控えた森琴石は、気力を振り絞って箱書を書いたようだ。


●箱書(鑑定)した大家は、「田能村直入 4点(以下点は省く)」・「狩野探幽 2」・「岡田半江 3」・「田能村竹田2」・「谷文晁」・「渡邉華山」・「忍頂寺静村」・「日根對山2」・「鼎金城」・「中西耕石」・「岡田米山人」・「今路熊山」・「木村蒹葭堂2」・「帆足杏雨2」・「狩野尚信」・「池大雅」・「椿椿山」・「村田香谷」など。


●森琴石自身の作品は、75点ほどの作品の箱書をしており、その中のひとつ、明治4年に描いた「小屏風 半隻画山水図」は、<50年前、27歳の猛春(4月)に描いた>と書いている。青年真っ盛りの頃のもので「筆勢流暢 秀勁清雅 墨気淋漓・・・・」と、若さがみなぎった力強い作品と自らを評価している。



森琴石の大師匠「鼎春岳」や「忍頂寺静村(忍頂寺梅谷)」は、鑑定での権威者であったとされる。「各地を巡歴し、勝を探り奇を写し、古名画所蔵家を歴訪して、其の画を臨募した」森琴石は、画の真贋を見分ける力をつけた。森琴石の日誌には、作品の所蔵者、或いは仲介者が、森琴石の元を訪れ、中国や日本の大家と称される画家の”箱書や鑑定”を依頼している記述があり、箱書や鑑定の依頼者が絶え間なかったようだ。遠方の依頼者は小包で送りつけてきている。これらの事から、当時森琴石が”鑑定家”として、相当な信用を得ていた事がうかがえる。



一方、絵画の方は、依頼に応じ切れなかったようだ。森琴石の歿後、森琴石の長男「雄次(当時は雄治名を使用)」は、依頼者へ「絹」や「画料」の返済処理に追われていたという。『京阪神ニ於ケル事業ト人物』(大正8年・東京電報通信社)には、<画債が山積する所、琴石翁が大家であることを知らせる>と表現している。



下方に、「田能村直入」・「森琴石」・「有名大家」の箱書草稿、森琴石日誌での<箱書・鑑定>記述箇所をご紹介します。



「森琴石の箱書草稿」での、依頼者や作品名などの諸情報は、後月又は来年くらいにご紹介出来ればと思います。



情報量が満載の「森琴石日誌」は、大阪の画家の生活や、当時の美術界の様子を垣間見る事が出来る、貴重な資料のようだ。





 

~森琴石の箱書(鑑定)控え より~



A;田能村直入(右)|狩野探幽(左)・・・・大正9年5月3日、5月4日



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翻刻文

大正九年五月より蒲月
五月三日
伊良湖晴洲属
田能村直入翁畫水墨溪橋寔秋圖
      水墨溪山幽隠圖 雙幅
絹本壱尺干支ナシ
田能村直入翁過於人着二矣畫
及齢也其畫天資筆有才精妙善
形而晩年筆力蒼畫名高
一代其齢輿而有力也此幅翁畫
雙幅用筆勁墨色秀潤沈厚
清雅筆底有超脱之趣
神韻有静深之趣実是
希代之珍品為神妙欣賞之餘奚
書之併題簽
[疐]…ショク、ジキ、まこと
[勁]…ケイ、キョウ、つよい
[遒]…シュウ、ジゥ、せまる、つよい
[洵]…シュン、ジュン、まこと


五月四日
古曽部 中井百太郎属
狩野探幽齋  名守信幼名
稱四郎次郎稱為剃髪號探幽齋叉白
蓮子永徳之孫也孝信長男也後倣宋人
其他宋元之古蹟又倣可翁雪舟
筆意勉強究遂出一機軸看此幅
探幽齋四季之月図四幅對心
用筆流暢用墨淋漓秀潤而沈厚
神韻有静深之趣
実是希世之珍品也宜為寶
用筆細密遒勁沈着極清雅墨色清潤而蒼
古之氣自出塵表高古神韻有静深之致
自有雅趣秀妙難尽洵為神妙實是稀
世之為名品可為寶也因爰書之











[ 淋漓 ]…勢いがあふれるさま



注釈
[ 伊良湖晴洲 ]…詳細不明。姓は地名に由来か? 愛知県渥美半島出身の画家か?
森琴石日誌に画会開催の事などで度々名が出る。箱書控えに、もう1か所名が出る。
[古曽部]…大阪府高槻市の地名、中井百太郎は門下「中井老泉」の事
[牧溪](牧渓)…宋末元初の画家。名は法常。本姓は李。蜀の人。臨安の長慶寺で雑役をつとめた。
水墨画に優れ、日本画にも大きな影響を与えた。

★お断り・・・・・文字の読みに、一部間違いがある可能性があります





B;田能村直入(右)|森琴石(左)・・・・大正9年6月19日






六月十九日
 北区上福島北
三丁目五十番地
田能村直入翁筆
 觀音大士像之圖條幅
琴石題薟
 絹本尺五

(ここまでは前頁分)

表具師
大前松在堂属
 明治十八年歳次乙酉四月畫豊楼客舎百花園也
三十六年前之筆
 明治四十年直入没ス
 田能村直入翁過於人着ニ矣畫及齢也
 其畫天資筆有才極精妙氣韻渾
 厚墨精淋漓翁畫名高一代其齢與
 而有力也此幅翁畫觀音大士像明治十八年
 歳次乙酉四月畫豊楼客舎百花
 園中明治四十年翁没書又為妙筆意遒勁用
 墨清潤而蒼古之氣自然出塵表
 洵為神妙欣賞之餘爰  書之併題匣面









六月十九日
北村賀松属


大阪金物新
報社代表
社員中川良太郎属


六月二十日
森琴石畫青緑溪山觀瀑圖條幅
屑己錐因子敦浴 五月蘭 四十二年前之作*
絹本尺五


華甲之圖 森琴石筆之條幅
尺五絹本庚申孟陬元旦之筆*


一品當朝圖 森琴石筆條幅
絖本尺八密壬寅*十七日寫以似中川雅兄一條
十有九年前之筆


森琴石畫松陰觀瀑圖條幅

*1878年(明治11年)作





*大正9年1月1日の作品


*明治35年の作品



注釈
[中川良太郎]…『改正特許諸法規類纂』(大阪金物新報編/大阪興信会出版/明治42年11月)の奥附けに
          編輯兼発行者:大阪市北区上福島3丁目18番地 興信会会長 中川良太郎  とあり

★お断り・・・・・文字の読みに、一部間違いがある可能性があります





C;有名諸大家の名があるもの・・・・(大正9年5月~12月21日分)









~森琴石日誌 より~



明治45年5月13日






五月十三日 晴


○朝、井手寿石来ル、菓子到来ス、
●昨日、堀尾ヨリ依頼之自画幅、箱書出来、
受取ニ来ルニ付、相渡ス、謝儀領収
○午後、久保井翠桐、并平野晃岳罷越シ、
研精会展覧会之義ニ付依頼罷越ス、
○名古屋菅井春山罷越シ、同地ニ而絵画
展覧会開催ニ付、出品誘導致シ呉候
様依頼罷越ス
近藤翠石南宗画会展覧之義ニ付、罷越ス、
○中森来ル
○同夜、鎌田梅石、新町姉知己先ヨリ尺八*梅林
山水揮毫願呉候被頼候付、承諾致呉候様
申越候処、謝儀之件ニ付相答、先方ヘ照会、
猶依頼ニ罷越候様申之、引取、
○早朝、平井直水氏ヲ訪フ、
タイ麻(当麻)ネリ供養ニ付、見物誘引罷越シ、
ヤス小児召連罷越ス約ヲ致ス
●久宝寺町、前田ヨリ依頼之耕石五岳静村*
之幅箱書受取ニ来ル、耕石・五岳出来有之
相渡ス、静村之分ハ調子有之不出来右謝儀領収
○午後、佐竹藍川来ル、近々東京ヘ
罷越し、同地居住之準備可致旨申之

*[井出寿石]…森琴石門下か?。
*[平野晃岳]…明治9年大阪で生まれる。四條派。
*[菅井春山]…明治10年名古屋に生まれる。浮世派。
*[中森]…森琴石画の斡旋者・頻繁に名が出る。
*[尺八]…幅一尺八寸の画。
*[平井直水]…深田直城門下、森琴石の親交者。
*中西耕石福原五岳忍頂寺静村のこと。
*[佐竹藍川]…明治11年徳島県生まれの南画家、
当時上福島に住んでいた。



明治45年5月14日





五月十四日 曇折〃晴


○早朝大和御所奈良家内、今日大和タイマ(当麻)
ネリ供養見物迎トシテ罷越ス
○ヤス、カツ、寿太、下婢召連、早朝ヨリ奈良迎ト
同道、大和ネリ供養見物ニ罷越シ、夕過帰宅、
○午前、坂上力松罷越ス、吉村清琴ヘ属之
画帖潤筆持参ニ付、預リ置、早速、右吉村通知ス、
○午前、天下茶屋山田(可祝子)氏*来訪有之、
昼飯饗応ス、
○午後、博愛職工学舎井上作次郎他一人
罷越し、寄送画請求有之、紀念品到来、
○岡村雄徳氏来訪、小切揮毫依頼有之、
物品到来ス、
◎午後、井手寿石外一人来訪有之、立原
杏所・桃源図幅、文徴明画幅持参、
鑑定箱書依頼
有之、
◎坂上力松并同人弟罷越し、自画五十四年
前画山水幅并四十一年前画幅、右ニ持参、
鑑定ヲ乞真物箱書依頼有之、
謝儀領収ス、
◎西京芝田浅次郎来ル、小切画一枚
揮毫属托有之、

*[奈良]…奈良市御所に住む知人。
*[ヤス]…森琴石妻/[カツ・寿太]…孫。
*[吉村清琴]…森琴石門下。
*[山田カシ子]…ヤス身内の娘。
*[井出寿石]…森琴石門下か?。
*[立原杏所]…江戸後期の南画家。
*[文徴明]…明、後期の画家。
*[芝田浅次郎]…京都芝田堂の主人、
森琴石の元を良く訪問していた。

注釈
[当痲ネリ供養]…奈良県葛城市當麻の「當麻寺」で催される春の大祭で、中将姫の現身往生を再現する行事。
[博愛職工学舎 ]…詳細不明。<金光教図書館所蔵雑誌一覧 か~>に『会報』の所蔵あり。
[岡村雄徳]…著書に 『陸軍兵事参考』(明治30)、『大日本書画家一覧表』(大正5年、改訂版)など。日誌には複数箇所の記述あり。

翻刻者=成澤勝嗣氏(早稲田大学文学学術院 第二文学部 准教授)



【2】

京都市立芸術大学は、「京都芸大」と称され、明治13年、日本で最初の公立の絵画学校「京都府画学校」を発祥の起源とする。翌明治14年、田能村直入が「京都府画学校」の初代校長となった。

平成18年10月」などでご紹介しましたが、森琴石は、「京都府画学校」の教師陣達とはかなりの交流があった。教師陣については、開校時の出資者の一人「小田半溪」のご子孫小田哲生氏作成の、「京都府画学校 関連資料:出仕者一覧表」に詳しく記述されています。


このたび、小田半溪ご子孫、小田哲生氏より、4つの情報を頂きました。


●「不倒翁」・「橙邨」…小田半溪が使用していた別号が新たに見つかったそうです。
●小田半溪の旧蔵品に、師匠「前田半田(暢堂)」の画帖があるが、跋文には、「”李復堂(李鱓)”などの画風で描いた」と書かれているそうです。

李鱓は「平成22年2月【2】」で記述しているように、当時の文人たちが好んで手本にした中国清代の画家。
●小田半溪は、京都府画学校の教授を退任後は、諸国を歴遊した。遊歴先の新潟からは「内国絵画共進会」や「秋田伝神画会」、「浪華学画会」などに出品していた。その新潟で、某収蔵家が小田半溪の画帖を所蔵されていたそうです。
●現在京都市立芸術大学芸術資料館では、企画展示「京都府画学校開校130年記念 京都府画学校の教育と絵手本」が開催中、京都市立芸術大学の黎明期にあたる京都府画学校から,市に移管された後の京都市立美術工芸学校に至るまでの,明治期の美術作品や関連資料を展示し、小田半溪の”画学校絵手本”が現在展示されています。会期・会場などは下記をご覧ください。


■会期…平成22年4月23日(金)~7月25日(日)
(ただし,6月7日(月)~6月25日(木)は展示替えのため休み) 小田半溪の絵手本の展示は、後期(6/26~7/25)です

■会場…京都市立芸術大学芸術資料館陳列室

■展示画家…浅井柳塘/跡見玉枝/今尾景年/池田雲樵/./EDWARD GUSTAV MAY SOHNE/遠藤茂平/小田半溪/河辺華挙/岸竹堂/国井応文/幸野楳嶺/巨勢小石/鈴木松年/鈴木百年/田能村直入/田村宗立/張洽/土佐光武/中島有章/二木福次郎/原在泉/望月玉泉/森寛斎/森川曽文/山田文厚/吉谷清馨/REGAMEY, FELIXほか 詳細は芸術資料館収蔵品(E209)をご覧ください。


森琴石は、京都府画学校に次いで、日本で2番目に出来た「浪華画学校」で支那画(中国画)の教師を務めたが、大阪では依然浪華画学校関連の調査は進められていない。大阪でも、上記のような展示が開催される日が待たれる。




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