森琴石(もりきんせき)1843~1921

森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成18年(9月)

【1】

森琴石の周辺から、銅版による地図や著出版(木版、活版も含む)に関わる人物が判明してきている。

森家の実曾祖母「ゑい」は、森琴石の2度目の妻である。明治9年4月10日、急病により幼児二人を残し早逝した。「ゑい」葬儀時の「諸事控帳」や「到来物帳」には、当時の森琴石の身近な者の名が記されている。その中、塾と書かれた文字の下には10人の氏名が記されている 注1。その中、森琴石とは「忍頂寺静村」の同門である「米津菱江」は、数種類の教科書の著出版に関わっており、「藤井光栄」は、「藤井光栄堂」又は「光栄堂」の名で、地図などの著出版に携わっている 注2

門人の一人「藤井新助(号・香舟)」は、明治8年、自ら縮図した「地球全図」を出版している。銅刻者は森琴石 注3

藤井新助は、「大阪之図」・「掌中大阪細見及二京之図」・「月琴独楽松月琴譜」などの著出版をしている 注4。森家の江戸末期の控帳には「新助」と名があり、森家の他の覚書にも、森家の親族と共に氏名が列されている。森家の身近な者の一人で、藤井光栄と藤井幸三郎は親族のようだ。

「光栄堂」の「藤井幸三郎」は、教科書などの著編さんや出版をし 注5、岡山県の地図、「岡山県市町村制区域三国全図」を銅刻している 注6。発兌人「竹内弥三郎」は、「佐久間舜一郎」著の岡山県の教科書や、響泉堂刻の著書の販売も手がけている 注7

 
 
注1
 

森琴石妻、ゑい葬儀 「諸事控帳」より   

 

米津菱江
諸事控帳
河邨学而
山口竹陰



森田亮明



白井昇太郎




西本鱗太郎
諸事控帳
永田正信



吉川拝石



藤井光榮




早野栄■郎

※ 塾 の意味については、現在特定出来ていません

   
 
注2、注3、注4、注5
 

藤井新助、藤井光栄、藤井幸三郎 の著出版   

 
 

●「浪華名所ひとり案内橋づくし」(編輯兼出版:藤井新助、鎌田朝助・明治17年12月17日)=国立国会図書館

●「淡交友義 」(藤井幸三郎編,藤井光栄堂, 明13.5)=国立国会図書館

●「改正小学読本字引」 ( 藤井幸三郎編,藤井幸三郎, 明15.11)=国立国会図書館

●「大日本刑法俗解大全 」(藤井幸三郎編,藤井幸三郎, 明15.11)=国立国会図書館

「地球全図」

藤井新助縮図并出版・森琴石銅刻・明治8年6月=NACSIS Webcat 書誌情報京都大学附属図書館、準貴重図書庫<室賀コレクション※・古地図>)をご覧ください。
*香川大学附属図書館にも所蔵されています。

●「月琴独楽松月琴譜」(藤井新助編著并出版・木版・明治10年12月)=関西大学附属図書館

●「掌中大阪細見及二京之図」(藤井新助編并出版・明治10年3月)=東京大学附属図書館

●「大阪之図」(杉岡政治編纂及画・藤井光栄刻・藤井光栄堂出版・明治12年・多色)=国際日本文化センター・神戸市立博物館

●「府県諸郡名及大阪区別一覽表并従東京里程」=(藤井幸三郎著出版・光栄堂・明治11年.6月)=東京大学 史料編纂所・国立国会図書館

「岡山県市町村制区域三国全図」

(山本真一郎著;藤井幸三郎刻・明治22年7月・銅版彩色・1舗 )=出版:岡山:山本真一郎、印刷:大阪:藤井幸三郎、発兌:岡山:武内彌三郎=明治大学図書館所蔵蘆田地図目録

   
 

藤井幸三郎について

「新撰 浪花人物誌」(赤志忠七編・大阪赤志忠雅堂出版・明治14年)より

諸名家合撰
 銅版画
南本町四 響泉堂
横堀 津田安之助
高ライ三 若林長平(注:高麗橋三、若林長栄  の事) 
唐物町横堀 水口臥龍
安土町三 藤井幸三郎
瓦町横堀 岡田竹治郎
   
【2】

森琴石の自著「南画独学揮毫自在」や「墨場必携 増補題画詩集」の出版人や、販売書肆(発兌書肆)からは、森琴石の書籍関係のネットワークを知ることが出来、岡山にも多数の発兌人がいる 注1

上記【1】で記述した「岡山県市町村制区域三国全図」の販売人「竹内弥三郎」もその中の一人である。武内弥三郎は、明治20年11月「松原三五郎」の「小学用器画法. 巻1 」の出版も手がけた。

明治4年の廃藩置県当事、福山藩の権大属にあった「窪田次郎 注2」は、地域の医療や教育活動などに多大に貢献した人物で、明治4年福山で医療啓蒙所を作り、翌5年には書籍を販売する「細謹社」を設立した。笠岡を本店に、玉島、福山に支店を置いた。「細謹社」設立メンバー37人の中には、儒学者「阪谷朗廬」や、「坂田丈平(警軒)」、慶応義塾大阪分校で学んだ笠岡の「森田佐平」などがおり、明治期の岡山で、政治経済・教育文化の牽引力となった人物が多い。「細謹社」は、備中高梁に設立する迄には至らなかったが、明治15年まで存続した 注3

備中高梁では、「平成18年7月■5番目」で記述の「柴原宗助」が、書籍販売「柴原文開堂」を立ち上げた。「柴原文開堂」は、山陽新聞の発売所でもあり、地域の文明開化の基盤となっていた。柴原宗助は若年時、大阪の藥店に勤務した時期があり 注4、福澤諭吉の書籍販売も手がけていた 注5

森家には「藥乃通 森薬店」という綴じ帳が残されており、身近に薬店を営んでいた者があったようだ 注6。森琴石の交流者「武藤吉次郎」は、慶応義塾で学び、大阪で福澤諭吉の書籍の販売をしていた。

 
 
「題画詩集」
題名
「題画詩集 墨場必携 森琴石編輯」、「題画詩集 新編墨場必携 森琴石編輯」、「墨場必携 増補題画詩集 森琴石編輯」など
冊数(巻数)=4冊が殆どで、2冊のものは一種類。5冊のものもあり(池田市歴史民族資料館蔵)
秩装丁=無地(紺、濃紺、浅い紺色など)数種類、柄物もあり
出版者
北村宗助、吉住音吉(明治12年11月)・辻本信太郎(明治24年)嵩山堂
*別に翻刻人とあるもの=石田才次郎(京都・発兌人を兼ねる・明治13年7月)
*別に反刻人とあるもの=山田浅治郎(神奈川県伊勢原・2冊・明治13年4月) 
刊行年
明治12年・明治13年・明治14年・24年  
その他
本の大きさ、厚み、紙質などを違え、幾種類かがある 
 
注1
 

森琴石が関わった岡山県の書肆  

 

 

 

佐久間舜一郎著
岡山県地誌略 備前丿部「岡山県地誌略 備前丿部 一」
(挿入地図:大阪響泉堂銅刻

後表紙の裏面 →

明治十年十二月八日版権免許
 同十一年三月十日刻成

編纂人:福岡縣士族 佐久間舜一郎
 岡山縣師範学校蔵版
發兌書肆:岡山縣士族 大島勝海

賣捌書肆:岡山 中丿町 細謹社
 同 西大寺町 弘文南舎





佐久間舜一郎=雅友・知友「佐久間舜一郎」をご覧ください。

 
 

佐久間舜一郎著
「岡山県地誌略字類 全」

「岡山県地誌略字解」=佐久間舜一郎編・柴原宗助等出版・響泉堂刻・明11年12月

発兌書肆=広島大学附属図書館 教科書コレクション にて画像閲覧できます。
最終頁(35頁)に多数の売捌書肆名があります。

売捌書肆名
備前岡山大島勝海細謹社・渡邊源米・森禎蔵・小野紋三郎・富木徳衛・岡田源吉・阿部勝忠・武内彌三郎/西大寺:入萬鹿三/味野:古谷亀造/天城:佐藤瀬平/下津井:出石源十郎/佐古:東山文治郎/馬屋:加藤梅太郎
備中倉敷:小松源吉・太田六■・林源十郎/玉島:妹尾一三郎/笠岡:森田佐平/井原:萩田源次郎/矢掛:鳥越富造/成羽:平尾哲太郎/高梁:赤木安造/菅?町:小川安造
美作津山:安達幸治平・草賀藤治朗・横山治平/倉敷:中山平十郎1/眞島:石田裕平/久世:中川孫七
 
 

森琴石著
「墨場必携 増補題画詩集 森琴石編輯 四」 より 
(明治12年刊=門人:藤井香舟(三)に掲載のものと同じです)

墨場必携 増補題画詩集 森琴石編輯 四奥附:編集者:森琴石
出版人:北村宗助
仝:吉住音吉
発兌人:吉岡平助

発兌書肆(末尾頁分)
備前岡山:弘文舎・細謹社・渡邊源米
森禎蔵・富木徳得・岡田源吉
世良田益太郎・武内弥三郎
備中柴原宗助
倉敷:森源十郎
讃州高松:岡田為助
阿波徳島:黒崎三右衛門
 仝  :世渡谷文吉
 仝  :黒崎弥助


縦8,1cmx横5,6cm

 
 

森琴石著
「南画独学揮毫自在 四」
(明治13年3月24日版權免許)

南画独学揮毫自在 四奥附:発兌書肆(末尾頁)

備前岡山:弘文北舎・細謹社
渡邊源米・森禎蔵・富本富得
岡田源吉・世良田益太郎
弘文南會・武内弥平衛
津田源兵衛・児玉林兵衛
備中高梁柴原宗助・森源十郎
同 笠岡:森田佐平
同 倉敷:林源十郎
阿波徳島:黒崎三右衛門
同    世渡谷文吉
同    黒崎源助
同    小川六右衛門
雲州松江:園山喜三右衛門


虫食いにより一部活字に欠損があります

 

上記書誌の発兌人については、当ホームページでこれまでに記述してきた岡山の人物との相関が大きく見られる。上記書物の発兌人については、後月 「索引・略伝」、又特記する人物については「雅友・知友」でご紹介します。

当HPでの、岡山県関係の記述箇所は「平成18年7月【1】注9」に記しています。

 
注2
 

窪田次郎=WEBサイト「福山誠之館人物誌(せいしかん じんぶつし)」よりご覧ください。後月に「雅友・知友」などで記述します。

  窪田次郎については下記の書物に詳しく記述されています。
 

1:「地域の教育遺産を掘る 井原・後月教育に貫かれた史心」(井原・後月教育センター編・平成8年・山陽新聞社発行)
2:「開校百五十年 誠之館人物誌」(誠之館人物誌編集委員会編・福山誠之館同窓会発行・平成16年)

森琴石は、福山(窪田次郎と同郷)では、藤井松林・藤井蘇道・戸島楼雲などと交流がある。

 
注3、注4、注5
 

森田佐平=笠岡の地方政治家、小田縣新聞の創始者、漢学家。長男は、翻訳家・評論家として知れる「森田思軒」。笠岡には堀和平がいる。

 
参考文献
南 智氏文:「柴原宗助と女子教育」による
「地域の教育遺産を掘る 井原・後月教育に貫かれた史心」「(井原・後月教育センター編・平成8年・山陽新聞社発行)
 

書誌ご教示=南 智(みなみ さとる)氏=元ノートルダム清心女子大学教授・元高梁高等学校校長

   
 

柴原宗助=雅友・知友「柴原宗助」、「平成18年7月【1】■4番目」 をご覧ください

 

武藤吉次郎=「平成16年9月■第2項目」・「平成18年5月【4】注3」 をご覧ください  

 
注6
 

森琴石の日誌に「森重助」という売薬商の名前があるなど、目下調査中。

 
【3】

森家実曽祖母「ゑい」の身内「杲田鉱二郎 こうだ こうじろう 注1」は、明治10年3月「官省府県諸願文例 注2」を著している。

 
 
注1
 

杲田鉱二郎=「千瓢賞餘」大阪市の半ばより少し下「藤澤南岳」の次にあり、「杲田隋翁 堂島中通」で記述。 鉱の文字=正確には(金+廣)

 
注2
 

「官省府県諸願文例」(明治10年3月10日出版)

 

編纂:杲田鉱二郎  府下大四大区四小区堂島中通
出版:俵新助     同大小区堂島舩大工町
発兌書林:紙重(堺)、濱本元次郎(大阪、靭南通二丁目)、小谷卯兵衛(大阪、心斎橋筋三十番地)

 

*森家控帳や森琴石の日誌、メモには「杲田耕次郎、甲田耕次郎」など、幾つかの当て字(同音異字)で書かれている。「ゑい」葬儀時の「森家諸事控」には、二人の遺児(長男雄二4歳7ヶ月、長女昇1歳半)に次ぎ、「森陶五郎」と並び列せられている。

 

*森家と杲田家との関係は、ゑい歿後間もなく鯖江の「山田ヤス」が森琴石の後添えとして、また雄二・昇の継母として森家に入るに伴い徐々に疎遠となり、特に森琴石の晩年時より、ゑいの身内は排除されていったようだ。森琴石の「第五回忌遺墨展」、「遺墨帖(第七回忌遺墨展覧会)」には、ゑいの身内の氏名は見当たらない。昭和19年7月15日歿の森琴石長男雄二の葬儀には、杲田美稲が親族として列席している。

   

森琴石死亡時、当時の親族や、交流関係を容易に知る事が出来る、森琴石の葬儀・法要関係の資料は無い。森家から持ち去られたようだ。森琴石の臨終を看取った妻ヤスの「控録」も現存しない。

 

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