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先月は、森琴石が写しとった「李復堂画花卉冊」をご紹介しました。李復堂は、清朝乾隆期頃に活躍した文人画家で、揚州八怪の一人として、当時の中国画壇や後輩たちに多大な影響を与えた。森琴石秘蔵の小画帖の最初の画は、この揚州八怪の文人画家の一人「金寿門(金冬心)」の画風に擬して描いている。小画帖については「平成15年12月」や「平成20年2月【2】注4,5」等でご紹介しました。
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森琴石秘蔵の小画帖は、全44面に画が描かれており、前半の22面は、胡公寿・斉白石・張子祥・倪旭華・楊伯潤・柳華廬逸史などの、中国文人の名もあり、それらには「寫於濾濱」や「作於申浦客次」と記されている。これら地名は現在の「上海」の事を指す。つまり上海に滞在し、上海で描いた・・・という事である。書画に押された印は、「栞石」「響泉」など、全て森琴石のもの。記された年号はいずれも”戊寅(明治11年)”及び”光緒4年(明治11年)」である。後半22面分は、さまざまな形の「石(雲根)図」を森琴石が描いている。「平成20年2月【2】注4,5」でご紹介したように、画帖の表紙裏の隠れた紙面には、当時森琴石が親交した文人の氏名と住所が書かれている。
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画帖前半分の、中国文人の名がある画の賛・落款は、文字が消えていたり崩し字であるなど、研究者にても読解が困難との事で、これまでなかなか解明が進まなかった。 |
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この度、ご協力者により、画帖の最初に描かれた、「冬心」及び「金寿門」の名がある2面分を読み解いて頂きました 注1。それによりますと、第一図の、急須の画の横には、「(森琴石が)自ら水を汲み、春摘みの香り高い茶葉を、中国江蘇省、宜興製の茶壷(急須)で煮た。金冬心先生の画風で描いた。」と書かれている。
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「金冬心」とは、浙江省杭州の仁和の人で、字は寿門の他司農、吉金がある。号は冬心の他、曲江外史、昔邪居士などがある。金石を好み、詩・書(楷書、隷書)・画・印ともに善くし、画では竹、梅、花果、馬などを得意とした。 |
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森琴石はこの金寿門をも相当敬愛したと見られる。森琴石旧蔵品中、森琴石が遺愛した急須類 注2 の中には画帖の図に似たものがある。急須の図に添えた文字「中国江蘇省、宜興製の茶壷(急須)」が残されている。宜興製の急須には「子冶(しや)製」との刻銘がある 注3。これら急須は「茶壷」と書き「チャフー」と読む。
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常滑焼で知れる常滑では、宜興と同じような原料(朱泥)があり、明治11年「鯉江方寿」らが、宜興窯の茶器に明るい清朝の文人「金士恒」を招き、宜興窯茶器の製法「パンパン製法」と呼ばれる”木板での叩き締めの技法”を常滑に伝えた。 |
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「金士恒」は「瞿子冶(瞿応紹)」の弟子である。森琴石旧蔵の急須類の中には、パンパン製法の急須類が残されている 注4。 |
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森琴石も蘭や竹・石(雲根)を好んで描いた。森琴石旧蔵「子冶製茶壷」には竹の図が刻されている。森琴石旧蔵品の中には子冶作 「竹・竹石図」がある。
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注1 |
「森琴石 小画帖」・・・・第1、第2図
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読解ご協力者=小林昭夫氏・・・松戸市・(財)無窮会・東洋文化研究所研究員・WEBサイト「らんだむ書籍館」主宰
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<左側の図>
鳥語花香 倣金壽門写意
訓み
鳥語花香 金寿門の写意に倣(なら)ふ。
言葉の意味
「鳥語花香」=鳥のさえずり・花の香り
…春の情景を表す… |
<右側の図>
自汲寒泉煮春茗白磁杯子紫沙壺 擬冬心先生畫意
訓み
自(みずか)ら寒泉を汲み 春茗を煮る、
白磁の杯子 紫沙の壷。冬心先生の畫意に擬す。
言葉の意味
「春茗」=春摘んだ葉で製した茶のこと
「紫沙壺」=中国(江蘇省)・宜興の名産の壷(急須)。
<壷(急須)に書かれた語>
枕石待雲起=石に枕し、雲の起るを待つ。
解釈
山中逍遥の寸景 或いは 何か寓意を込めたとも、解釈できる。 |
- 補足説明
- 紫沙壺(しさこ)=茶壷の代表的な産地は、中国江蘇省宜興(ぎこう)で、ここで作られる茶壷は、その土の素材から紫砂壺(しさこ)とよばれ、昔から珍重されてきた。宜興の紫砂壷の発祥は明代。
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注2 |
森琴石旧蔵品・・・・・急須類
- ★ 1列目左端=子冶製
- ★ 2列目 左から2番目、3番目、後列の3つの急須(全5個)が パンパン製法といわれるもの
- ★ 前列右端は、森琴石が常用していたと見られ、裏や側面が煤けている
- ★ 他の急須類の解明は出来ていない
- 森琴石旧蔵・・・・・瞿子冶の茶壷&パンパン製法の茶壷
- 急須類の鑑定=中野晴久氏(常滑市民族資料館主幹・常滑ラボ主宰・平成14年11月に鑑定して頂きました。)
- 急須及び画の文字読解と解説=小林昭夫氏(注1に同じ)
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注3 |
ク シヤ(ク オウショウ) |
瞿 子冶(瞿 応紹)製 茶壷 |
- 茶壷の解説
- 江蘇省宜興で作られた紫砂茶壷(チャフー)で、子冶が好みの形を陶工(恵 孟臣)に造らせ、そこに飾り(竹)を施したもの。
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春風弌掬 (弌掬 = 一掬)
解説:この急須でお茶をいただくと(一掬すると)、春の雰囲気を味わうことができる
茶壷の裏底
- 月明林下美人來 孟臣製
- 解説:月明の林下 美人来(きた)る。 ⇒明・高啓の詩の一節と思われる
- 孟臣=明朝時代の名工恵孟臣の事。後世の人々は名茶壷を孟臣と形容した
パンパン製法の急須
- 茶壷の解説
- 蓋の裏を見ると、この急須はロクロを用いず、板状の粘土を用いて造っている。この技法は、常滑で「パンパン製法」と呼ぶもので、中国宜興窯の技法である。しかし宜興製にしては粗雑すぎるようだ。日本でこの技法が伝わったのは常滑だけである。
具輪玉(ぐりんだま)と称する粗製の小型急須を、幕末明治期の日本では以上に高く評価されている。具輪玉については壷迷さんのHPにあるようによくわかっていないが、きわめて日本人好みの粗製の茶壷である。画像のチャフーは、注ぎ口や全体のバランスが具輪玉とは異なるようだが、やはりその仲間になるだろう。これは素焼きではなく立派な炻器(せっき)である。
- 注釈
- 具輪玉(グリンダマ)=全体的に丸いものに口と手がついたもの
炻器(セッキ)=陶器と磁器の中間のやきもの。気孔性のない点で陶器と区別され、不透明の点で磁器と区別される。
瞿 子冶「竹図・竹石図」・・・・・各20.5cm x 16.8cm
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金冬心先生有此
金冬心先生に此れ有り。
解説
竹のことを雅語で「此君」ということに関係
「此君」の語は、晋の王徽之(書聖・王羲之の子)が竹を愛し、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」と言ったという故事に基づく。
ここでは、金冬心も竹を愛していて、その居宅にはやはり竹があった、ということを表わしている。 |
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