森琴石(もりきんせき)1843〜1921

森琴石 関係人物紹介

森琴石の師匠や先輩・友人知人など、また琴石の周辺の人物を紹介します



■師匠・先輩たち

洋画法


高橋由一 (たかはし ゆいち)


●森琴石が、明治6年東京で洋画法を学んだ師

高橋由一

 日本近代洋画草創期の代表的画家で、その開拓者のひとり。文政11年(1828)下野国佐野藩江戸屋敷で生まれる。天保7年(1836)藩主堀田正衡の近習として出仕、のち近習長となり図画取扱を兼ねる。主家に出入りしていた狩野洞庭に運筆を学び、狩野探玉 斎に入門、長じて吉沢雪菴に北画を学んだ。

  嘉永年間、洋製石版画を見てその迫真性に驚き、西洋画習学の念を起こす。文久2年(1862)幕府の蕃書調所画学局に入所、その後名称が改まった開成所の画学局出役介となるが、西洋画の研究は蘭書を頼りの手探り状態で、筆からパレット、絵具に至るまで手製の代用品を用いたという。

  元治2年(1865)横浜にチャールズ・ワーグマンを訪ねて入門、またショイヤー夫人にも指導を受けた。翌年、藩命で上海に渡航。明治改元後は、開成所を引き継いだ大学南校の画学係教官となったが、5年(1872)依願免官し、6年(1873)日本橋浜町に住居を新築、あわせて画学教場天絵楼(のち天絵社、天絵学舎)を創設し多くの門弟を指導した。

  明治9年(1876)から、教員・塾生による「月例展」を開催する一方、同年開校の工部美術学校教授として来日したフォンタネージと親交し、指導を受けた。この間、内外の物産会や博覧会にも盛んに作品を発表、洋画の普及に粉骨砕身し、その活動は日本最初の美術雑誌『臥遊席珍』の発刊や美術館(「展画閣」)建設の請願にまで及んだ。天絵社月例展には、卑近な事物をリアルに描いた静物画や、フォンタネージに学んだ空気表現を名所風景に盛り込んだ作を発表、明治13年(1880)から翌年にかけて讃岐の金刀比羅宮奉納の油絵を多数制作し、14年(1881)から数年間は、山形県、栃木県の県令を歴任した三島通 庸の依嘱で、両県の新道風景などを油彩や石版に記録する仕事に専心した。明治27年(1894)没。

 森琴石の諸伝には、「明治6年東京に遊び西洋画家高橋由一の門を叩く」と記すが、由一側の史料「天絵塾門人牒」には琴石の名は出ていない。したがって由一に正式に入門した訳ではないが、明治6年(1873)は天絵楼創設の年であり、ここを訪ねて由一に示教を請うた可能性はある。また、明治5年(1872)頃から10年(1877)頃にかけて、由一は玄々堂に通 って石版を試作するなどしており、そこで由一とともに二代玄々堂松田緑山の銅・石版画に接した可能性があるかも知れない。

文章=熊田 司氏(大阪市立近代美術館建設準備室主幹)

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