「4代目 嵐璃寛 注2」は、上方歌舞伎<嵐家 注3>の出で、<璃寛>はその筆頭名で、6代まで代々名優として名を馳せた<名門>である。
●<璃寛>の名は、「初代璃寛(2代目嵐吉三郎)」が、死の直前の文政4年3月、名跡を甥の<嵐大三郎>に譲り、<初代嵐橘三郎>と名乗り、5月には俳名の<嵐璃寛(李冠)>を名乗った事に由来する。
●「4代目 嵐璃寛」は、「三代 嵐璃寛」の実子で、男役から女役まで幅広くこなし、明治前半期の当時、「実川延若」・「中村宗十郎」とともに、上方役者の<三幅対>と称せられ、人気を博した。「中村宗十郎」と森琴石は、「学海画夢-三友聴琴」の中で、隣り合わせに座している。
●璃寛の前名は<嵐徳三郎>と名づけられ、歴代の璃寛は、徳三郎時代には、いずれも若手花形役者として大活躍した。 大正後期、18歳で映画界に身を投じた「嵐寛寿郎・通称アラカン」は、「6代目 嵐徳三郎」の甥である。
●嵐家は、「7代目 嵐徳三郎」が「7代目 嵐璃寛」を継ぐ者と期待されたが、平成12年12月惜しくも急逝した。「嵐璃寛」の名跡が途絶えたばかりでなく、衰退する関西歌舞伎の復興の中心人物として期待されただけに、その死は非常に悔やまれたという。
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