森琴石(もりきんせき)1843~1921

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■書簡

森琴石や関係者、身内の手紙などを紹介します。


■森 琴 石 ~ 他 者 宛

岡 不崩 への書簡

●関連事項=平成16年9月

●明治39年5月、岡不崩が主催する「真美会展覧会」に出品した作品に、
「名誉賞状」が贈られた事に対するお礼の書簡。

翻刻及び読み下し文=大原俊二氏
(米子市史編纂事務総括・米子市図書館協議委員・米子藤樹会理事)
  


原文 読み下し文
  朶雲相達忝奉拝誦候
去月眞美会展覧会
御開催御盛隆慶賀候
 拙画出品仕候処御叮嚀ニ
小包ヲ以御返却御郵送被成下
猶名誉賞状御贈与相成候
段難有奉拝受別帋御
請書差出候間宜敷御執計
奉願上候御厚意萬々
奉謝上候且貴会ニ費之
為メ拙画揮毫差出し候、宜
敷候ハバ早速揮写可仕候付
何卒御腹蔵ナク可被仰
聞候。此段御伺奉申上候
猶貴命之帋本小切画ハ
早々揮毫差送リ可申候先ハ
右之段奉申上度迄如此御座候
敬具
  五月十八日  森琴石
 
岡 不崩先生 虎皮下
  朶雲(だうん)相達し、忝なく拝誦奉り候。
去月、眞美会展覧会
御開催、御盛隆慶賀に候。
 拙画出品仕り候処、御叮嚀に、
 (注:謙遜のため一字下げている)
小包を以て、御返却、御郵送成し下され、
猶、名誉賞状御贈与相成され候
段、有り難く拝受奉り、別帋(紙)、御
請書差出し候間、宜敷く御執計(とりはからい)
願い上げ奉り候御厚意、萬々
謝し上げ奉り候。且し、貴会に費(ついえ)
為、拙画、揮毫差出し候。宜
敷く候わば、早速、揮写仕る可く候に付き
何卒、御腹蔵なく仰せ
聞きかさる可く候。この段御伺い申し上げ奉り候。
猶、貴命の帋(紙)本小切画は
早々、揮毫差し送り申す可く候。先(まず)
右の段、申し上げ奉り度き迄、如此(かくのごとく) に御座候。
敬具
 
  五月十八日  森琴石
 
岡 不崩先生 虎皮下

◆書簡ご提供者=渡辺好孝氏(川崎市・朝顔資料館代表) 
 


石癖栗田先生
明治37年以降

●関連項目=「平成18年8月【1】」・「平成19年3月【2】」・「平成22年7月【2】

●森琴石が、福岡の篆刻家「栗田石癖」に依頼した印材が届いた事への謝辞と、「栗田石癖」から、森琴石に山水画帖を描いて欲しいと頼まれていたが、体調が思わしくなく遅れている・・・という事へのお詫びの手紙。

●「栗田石癖」が誰であるか? 長い間判らなかったが、平成18年8月僅かな人物伝が存在した。その4年後の平成22年7月、更に詳しい人物像を知ることが出来た。




この書簡は、明治37年以降に書かれたものです


読み下し文=大原俊二氏
(米子市史編纂事務総括・米子市図書館協議委員・米子市山陰歴史館運営委員・米子藤樹会理事)
原文 読み下し文
  伺暑之節二御座候処
益御清栄奉欣抃居候
    獅鉦在印
今便貴篆不老長春園
琴翁并外小包郵便
御送付御恵投被下唯今
安着早速開封拝見仕候処
誠二絶妙之御篆刻二而生
涯之重宝トシ毎画捺印
相楽可申候両連印貴属之
山水帖相用可申候御厚意
難有拝受仕 萬々奉謝上候
画帖も延引史候傾日中
時候二被射平臥仕以把
筆も半途如此不日快気
次第落成御送可仕候先
不取敢御厚礼迄如此
御座候        敬具
六月二日   森琴石拝
 石癖 栗田先生
虎皮下
  向暑の節に御座候ところ
益ますご清栄欣抃に奉り居り候
    獅鉦在印
今便貴篆不老長春園
琴翁并に外に小包郵便を以って
ご送付ご恵投下され 唯今
安着、早速開封拝見仕り候ところ
誠に絶妙のご篆刻にして生
涯の重宝とし、毎画捺印
相楽しみ申すべく候。両連印は貴属の
山水帖に相用いすべく候。ご厚意
有がたく拝受仕り萬々謝し上げ奉り候
画帖も延引仕り候 傾日中、
時候に射(あて)られ、平臥仕り、以て把
筆も半途かくのごとし 不日快気
次第落成し御送り仕べく候。
先ずは取りあえず御厚礼まで
かくのごとくに御座候    敬具
 
六月二日    森琴石拝
 
 石癖 栗田先生
虎皮下

 
 
■他 者 ~ 森 琴 石 宛

清国人からの書簡

●関連事項: 関連資料「中野雪江」最新情報「平成16年10月

●清国文人より森琴石に宛てた書簡。判読可能部分の一部をご紹介します。

●判読ご協力者:成澤勝嗣氏(神戸市立博物館)

●資料ご提供=近藤成一氏(東大阪市、近藤翠石孫)


衛 鋳生(えい ちゅうせい)
1:明治19年6月30日
  大阪高麗橋三丁目廾番地  響泉堂 森琴石先生  恵披
  兵庫宮内町二十五番地 筏マチ宿方 衛鋳生   七月廾二日
    琴石と分かれたのち、九日に今津に行く。
    十二日に住吉に行き、藤村氏へ手紙を託し、
    山邑氏に渡してくれるよう頼む。山邑氏より返事なし。
    十三日にまた藤村氏をたずねるも御影に行って不在。
    大島屋で居を借りようとしたが人がいっぱいで駄目。
    五日滞在して兵庫へ移る。
    ただ兵庫は七、八年前に自分の筆墨を得た大家が多く、
    もう揮毫の望みはない。
    伯洲訪問の免状はそちらへもう届いたでしょうか。
2:明治18年8月27日
  大阪高麗橋三丁目二十番地 森琴石先生 恵披 衛鋳生緘_
  兵庫宮内町二十五番地 筏松屋宿方 八月廾七日
    二十一日にあなたの弟子の津島氏が、
    今治の花谷氏からあなた宛の手紙を持ってやってきた。
    津島は若いながらすぐれた才能がある。
    松井秋香が張子祥の画を持っている。
    そちらへ到着したかどうか。
    (※「舟岳兄」の文字がある。舩田舩岳の事か?) 
王 冶梅(おう やばい)
    銅版で何か本を出版するのに、
    琴石に良い刻士を紹介して欲しいと依頼。
    半分くらい版を作ったが、内四枚は下手で使えない。
    但し急いでいる。
    徐松延先生が結婚するので二月末に上海へ戻らねばならない。
    そのため出版の出来る人間が大阪にいなくなる。
           文安     第王冶梅拝  十二月廾三日
胡 鉄梅(こ てつばい) 
1:明治19年6月1日
  大阪東区高麗橋三丁目二十番地 森琴石先生閣下  六月一日
  神戸海岸四丁目十四番 同孚泰號方 胡鉄梅拝緘
    昨日神戸に到着した。
    滞在許可を北陸道に改めてもらうためだが、
    下付が十日余りもかかる
2:明治19年6月30日
  京都木屋町三条上ル 一富士楼方胡鉄梅 拝緘
  大阪東区高麗橋三丁目廾番地  森琴石先生閣下  六月卅日
    君の如き天涯の知己は数人にすぎない。
    惜別の情抑えがたい。
    京都に滞在して二,三日 加賀の(北方)心泉和尚に電報して、
    ともに能登に遊びたいと頼んだ。
    敦賀、三国、武生では内海吉堂が紹介状を出してくれる。
朱 印然(しゅ いんぜん)
1:明治18年5月
    北遊するにあたり、俚歌をつくり、
    大阪の諸文士に別れを告げる。
    書して琴石道契に贈呈す(漢詩がしたためられている)
     明治十八年五月 朱印然
2:
  大阪高麗橋通三丁目二十番地 森琴石先生 恵披
  新潟中蒲原郡五泉町 中野雪江殿方 清国朱印然寄 九月十日
    六月三十日に大阪発、九月九日にようやく五泉に到着。
    船を待ち人を待ち 辛い旅であった。
    今は中野雪江先生のところに滞在している

お断り
清国人の書簡は森家が撮影したものです。 写りが悪く撮影も抜け落ちた箇所があり、
判読には適さないものでした。今後再調査の上、年号の特定や内容など改めて関係誌
などにて紹介される見込みです。

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