森琴石(もりきんせき)1843~1921

森琴石紹介 Mori Kinseki

森琴石とは略歴写真・文献抜粋(南画編<明治時代><大正時代><昭和時代>・銅版画編)|
家族・係累(生家と森家・森琴石の家族・係累人物

文献抜粋

(森琴石について書かれた文献資料をご紹介します)

―南画編―

明治時代


1:【内国絵画共進会出品人略譜】(農商務省版/国文社刊/明治17年5月)より



森琴石

鐵橋道人と號ス 大坂府東區高麗橋三丁目ニ住ス 梶木源治郎ノ男ニシテ森善蔵ノ養子トナル
天保十四年二月生ナリ 幼ヨリ繪事ヲ好ミ 嘉永五年ヨリ畫ヲ鼎金城ニ學ヒ 師歿シテ後忍頂寺
住職壽平(號梅谷)ニ随ヒ 夫ヨリ京坂ノ諸大家ニ交リ六法ヲ論究シ 叉清泉ニ就テ法訣ヲ質シ
畿内山陰山陽ノ諸國ヲ遊歴シ 明治十五年内國繪畫共進會ニ於テ褒状ヲ授與セラル


清泉=中清泉(勝村豹)などを考えたが、時代が合わない。
あるいは<清泉堂>とも号した、銅板師<2代目玄玄堂>こと「松田緑山 まつだりょくざん」の可能性がある。
中清泉=本姓勝村、名豹、字文蔚、称主膳、号清泉。讃岐丸亀藩儒。天明3年~弘化4年1月18日。昌平黌尾藤二洲・精里門(『讃岐人名辞書』)。

2:【全国画家人名録】(岩崎健吉編/寺田栄助京都/明治28年4月) より



画家独案内の項
大阪府:モ 森鐵橋・琴石・南宗派・清明・山水花卉


◆号は鐵橋(鉄橋)となっており、師匠は明清人としている

3:【雲笈印範 うんきゅういんぱん】(木村鉄畊編/木村鉄畊、書報社/明治35年11月/全8冊)より

第三輯
東京木村鉄畊編/森重鴻輔、中島荷香校
目次
岡田篁所、菊池芳文、谷口香?、大竹蒋逕(しょうけい)、永井香圃、日下部鳴鶴、上田耕冲、重野成斎、佐竹永湖、江上瓊山、田中青山、杉聴雨、宗星石、橋本青江、福原周峰、森 琴石、秦 金石
(森琴石伝記)
森熊吉夢琴石 又号鉄橋 摂津有馬人
幼不喜嬉戯 年八歳従鼎金城学画私淑忍頂寺静村梅谷
妻鹿友樵治詩文 好漫遊 探名山写景蔵于家
清人胡公寿寄書称詩書画三絶 賞牌以指十数
著有 南画独学 題画詩類 墨場必携等書
挿入写真
森琴石肖像写真
森琴石画・・・「聴泉図」(壬寅■夏写於聴香讀畫廬 琴石)
印譜・・・・・・・4頁分(カラー)
:一部旧漢字を当用漢字に置き換えました。
:what's New平成24年10月10日更新の「お知らせ&補足」をご覧下さい

4:【第五回内国勧業博覧會審査官列傳 前編】(明治36年4月/金港堂出版)より



第十部審査官森琴石君

君は大阪の画工にして、天保十四年三月十九日攝津国有馬湯山町に生る梶木源次郎の三男なり、君幼にして画を好み、歳甫めて八、大阪の鼎金城の門に入りて画を学ぶ、金城師亡後忍頂寺静村等に南画を学び、読書詩文を妻鹿友樵に学ぶ出藍の称あり、

後ち中国九州四国、北陸、東海等各地方の勝を探り景を写し、術大に進み、大阪に出で々森善作氏の養子となる、

尋て画家団体協会、機到会、学画会、点晴会、扶桑絵画協会、日本南画品評会等を組織し、大に斯道の奨励を計り、

明治十七年秋初めて全国絵画品評会を大阪に起し爾来洋江絵会学術委員、浪華画学校教員、日本美術協会第一部委員、大阪扶桑絵画会総務委員、東洋美術奨励会委員長、全国書画倶楽部顧問、其他絵画共進会、展覧会等の審査委員を嘱託せらるゝ数次、又宮中御用画を命ぜられしことあり、第三第四内国勧業博覧会及美術協會展覧会、京都其他の絵画共進會等に出品し、金銀銅賞牌、銀木盃等を受しこと数十回、又東京日本画会の百画中に当選すること前後五回。

君夙に山陰、山陽、南海、北陸、東海の諸道、其の他各地を巡歴し、勝を探り奇を写し、古名画蔵書家を歴訪して、其の画を臨募す、

明治二十八年二月広島大本栄へ絵画二枚を厭納し、陸軍中奨岡澤精氏の伝厭によりて 天覧を忝ふす、三十三年五月皇太子殿下御慶事奉祝の為め、絵画を厭納し、東宮太夫公爵中山孝鷹氏より賞状を賜はる。

著す所南画独学、題画詩集、墨場必携あり、曽て清人胡公寿書を贈って詩書画三絶と称す。

(現住大阪市北区北野高垣町二千四百三十四番地)

5:【現今 日本名家列伝】(日本力行会出版部編纂/日本力行会/明治36年10月30日発行)より



画家  森 琴石君

 大坂の地たるや我国の殆ど中央に位して海陸共に交通の便極めて宜しく
其人物に至りては満身之れ商略と云う可く商事を除きて他に亦一物なし
斯くの如き地勢と斯くの如き市民とを有して商業の盛大全国に冠たるは
敢て怪しむに足らずされば殆ど何等の縁故をも有す可しと思はれざる
非凡の画伯森琴石君を此所に見るは真に意外の感なくんばあらざるなり

聞く君は摂津国有馬湯山町の人天保14年3月を以て生る
?父は梶木源次郎と呼び世々実業に従事せしが君は幼より心を画に傾け
?年甫めて8歳の時出でゝ大阪なる住鼎金城氏の門に入りて斯道を学び孜々として努むる所ありしが?
後金城氏の病歿するに遭ふや忍頂寺静村氏等に就て南画を修め傍ら妻鹿友樵
に就きて詩文を学び秀才の名頗る高し
?後ち中国 九州 四国 北陸 東海等の各地を巡歴して或は勝地妙景を探りて之が真を写し或は旧家名門を訪ふて蔵する所の古畫を臨摸し見聞を広め技術を磨き修業頗る努む?
再び大阪に帰るや森善作氏の嗣子となり爾来其姓を襲ぐ?
次で画家団体協会 機到会 学画会 点晴会 扶桑絵画協会 日本南画会等を組織して大に斯道の奨励を計り?
明治17年秋全国絵画品評会を大阪に起こして益々畫道の振興を企画し爾来洋画会学術委員 浪華画学校教員 日本美術協会第一部委員 其他多くの委員審査官等を嘱託せられ且つ其製作品にして宮内省御用を命ぜられたること数回?
博覧会其他に出品して金銀銅賞牌 銀盃 木杯の類を授与せられたること実に数十回?
特に夫の日清戦争の際には広島大本営へ絵画2枚を献納して天覧を辱ふし?
皇太子殿下御慶事の際には更に又絵画を献納して賞状を下賜せらる以て其技術の如何を判するに足る
?且つ又頗る文事に富み著書南画独学●題画詩集●墨場必携
何れも詞章膽富にして流麗 為めに清人胡公寿書を贈って詩書画絶と称するに至る(大阪市北区北野高垣町2434)


◆原文の旧漢字は現代漢字に置き換え、字間、行間も読み易いように変えています?。
◆What's New 2015年1月10日更新分 をご覧ください。

6:【古今 書画名家詳伝】(筧有隣著/発行兼印刷:岡本仙助/明44年9月) より



36丁裏:キ之部

栞石・森氏字ハ鐵橋 大阪ノ人 清客胡鐵梅二畫を学ヒ密画ヲ成ス 其ノ精ナルモノ肉眼ノ及フ處ニ非スト云フ

◆森琴石と胡鉄梅との関係は、当時はかなり知れ渡っていたものと思われる。
森琴石とは略歴写真・文献抜粋(南画編<明治時代><大正時代><昭和時代>・銅版画編)|
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