森琴石(もりきんせき)1843〜1921
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森琴石 調査情報

平成10年10月〜現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成21年(12月)

  今月の話題

森琴石旧蔵品より

森琴石の絵葉書
★大正八年十一月/特別大演習記念絵葉書(3枚組中の1枚)/大阪府発行



【1】

森琴石旧蔵品の中には珍しいものが幾つかある。大正8年11月、大阪府が発行した絵葉書の中に、森琴石が手がけたものが1枚ある。


絵葉書は、陸軍特別大演習記念として作成されたもの。この年、大正天皇が摂津播磨を行幸された記念として作成されたもの。


森琴石は大阪府の依頼で、大阪に所縁の深い、仁徳天皇を主宰神とする高津宮(こうづぐう)の高殿(高台)を描いた。森家にはその下絵となったものが3点残されており、絵葉書が完成に至るまでの、過程を知ることが出来る。古事を最初の構築として描いているのが興味深い。完成された絵葉書は木版製で、簡潔な画風に仕上がっている。


他の2枚も当時の大阪を象徴する”大阪城と天王寺の賜饌場”、日本で初めて織機の技術をもたらした、大阪府池田市にある呉服神社(くれはじんじゃ)の”呉職姫・漢職姫”を描いている。大阪は明治以降も、紡績の町として知られ、紡績業は大阪の経済発展の礎となった産業である。これら2点は署名が無い為画者は不明。

下記にそれら絵葉書と、森琴石の下絵をご紹介します。


 

森琴石が手掛けた絵葉書

  特別大演習絵葉書(森琴石『高台図』・大正8年11月・大阪府発行)



外袋

   
 

絵葉書:森琴石の下絵


最初

仁徳天皇が高殿から見下ろすと、人家からはかまどの煙が沢山見える・・・を描いた

寸法=縦37cm x 横46.5cm

仁徳天皇が高台 (高津宮 こうづぐう)に上り、国を見渡してみると、民家のかまどの煙が少ないことに気付き、その後3年間民から税を徴収しなかった。3年後に高台に上り国を見渡してみると、かまどの煙が沢山見えた。この喜びを詠んだのが 「高き屋に登りて見れば煙立つ民のかまどは賑ひにけり」 である。
矢印

その次

寸法=縦39.6cm x 横54.8cm

矢印

完成に近い

裏に”タカキヤノ図” とあり   ↑
 
寸法=縦36.8cm x 横46.5cm

矢印

完成絵葉書


又は  ↓     ・・・・上の絵葉書より着色が多い






 

絵葉書の解説及び他の2点の絵葉書




上図:天王寺賜饌場/下図:大阪城・・・・・凸版

呉服神社(くれはじんじゃ)の祭神:呉職姫・漢職姫・・・・・オフセット版

呉服神社は大阪府池田市室町にある神社。呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる、織姫・呉服媛(くれはとりのひめ)と、仁徳天皇を祀っている。


 









 



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