森琴石(もりきんせき)1843〜1921

森琴石 調査情報

平成10年10月〜現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成20年(9月)

 

今月の話題

【1】 先月度 注3 ・・・・森琴石響泉堂』刻、三井銀行の証券試摺
【2】 「何杏村(か きょうそん)」について

【1】

先月度■3番目で記述しましたが、森琴石は銀行の「證券類」を銅版で作成していた。「K氏コレクション」の中から「三井銀行」の證券をご紹介します。更に精緻な銅刻技術の証券・證券類は、来春出版予定の「森琴石画集」にてご覧頂く事が出来る予定です。

三井銀行証券試摺

明治10年頃・K氏コレクション より

三井銀行証券試摺

★画像ご提供者=熊田司氏(大阪市近代美術館建設準備室研究主幹)




【2】

当HP内の<門弟紹介>で、大阪市東区の「原石城(二)」及び摂津の「北島華谷(五)」で取り上げている画像は、「何 杏村(か きょうそん)」が依頼した”寄贈画”のようだ。明治19年夏に描かれた「北島華谷」のものが2枚現存している 注1。「何杏村」の住所は、大阪市北区曽根崎と書かれている。これらの使途についての情報は無い。

「何杏村」は、明治22年に「扶桑書画譜 6冊 注2」を編集蒹発行をしている。同画譜には、当時活躍した書画家・儒者・漢詩家・政治家など300名以上の書画が寄せられている。森琴石門下からは「明田月樵」が山水図を寄せ、師匠の森琴石の作品は「琴」を前に置き、物憂げにな表情の女性を描いたものである。その下絵が現存する 注3
森琴石周辺では、儒学の師匠「妻鹿友樵」や友人「石橋雲来」・「藤澤南岳」・「近藤南洲」・「依田学海」の書、鼎金城門下で森琴石の兄弟子「行徳玉江塚村暢谷」の画、その他多数が収録されている。

WSBサイト「加藤徹氏のホームページ」では、「何 杏村」の人物と業績について、「各種清楽譜における九連環」の中で少し触れられている。それによれば、杏村は長崎の中国人通訳で、日本に帰化して「河副作十郎」と名乗り、明治10年に清楽の楽譜「清楽曲牌雅譜」を著したとある。同氏のHP「明清楽資料庫」内<明清楽とは?>で、図入りで丁寧に解説されています。

森琴石は<七絃琴 注4>のみならず、明清楽にも造詣が深かったようだ。当HP作品紹介:画稿では「平井連山 」から依頼を受けた「封筒」の画稿を紹介している。また、森琴石の<月琴を弾じる女性>の下絵画稿などが残されている。大正8年に開催された「森琴石 喜寿祝賀会式次第 注5」には、<平井連山社中>による”明清楽合奏”が記載されている。

当HP「平成20年4月 注1」でご紹介しました、森琴石の師匠鼎金城の作品「くちなし・ゆり・黄桃図」に詩賛を揮毫した「朱柳橋」も、清楽を広めた人物とされる。

上記記載の「原石城」・「北島華谷」の画稿の存在は、「扶桑書画譜」発行以前の、「何杏村」と森琴石一門との繋がりを知る資料でもある。また「明田月樵」・「原石城」・「北島華谷」は、明治20年前後の森琴石門生として”重き位置にいた”ようだ。この頃「近藤翠石鎌田梅石」は、まだ子供と青年だった。 何杏村については、今後調査の調査課題とする。

 
 
注1
 

北島華谷 寄贈画・・・・他の1枚は門人:北島華谷(五)にあります

落款:丙丑(明治19年)夏 華谷生寫印 印

右枠外
北島熊三郎 名熊 字夢吉 号華谷
大阪府下攝津國島下郡吹田村七百八拾弐番地住
左枠外
御寄贈詩文書画此枠内二御揮毫ヲ願度候
大阪市東區北濱三丁目十三番地 何杏村百拝

北島華谷 寄贈画

 
注2
 

「扶桑書画譜 6冊」=(河副作十郎,大河原久編/清娯館/明治22年刊/29.8×16.2cm)

★各冊に、儒者や政治家などによる題字や序文跋文があり、また各冊60名ほどの書画家の作品が収録されている。現在では名前が余り知られなくなった人物の書画も見られ、各人の作品には当時の住所が自筆で書かれている。
★奥附には「長崎県平民 河副作十郎 大阪府東区北濱三丁目十三番地」、版権免許は明治19年11月29日(自巻1〜至巻4)、明治21年12月25日印刷と書かれている。


1冊目 題辞=西尾為忠

1冊目 題辞=西尾為忠

1冊目 人名録

1冊目 人名録


西尾為忠
儒者・官吏。京都の人。号は鹿峰、字は叔謀、通称は遠江介。勤王の志厚く、維新の際は監軍として東山道に進向し功があった。文部省御用掛となり、熾仁新王御行実編輯委員に任じられ、また閑院宮家令・梨本宮家令を勤めた。詩書を能くし、特に書法は大師流に通じた。明治33年(1900)歿、59才。  ・・・思文閣美術人名辞典・・・

 
注3
 

★明田月樵の画=門人−大阪市西区;明田月樵(五)をご覧ください

★森琴石 「扶桑書画譜」<下絵>

扶桑書画譜

 
注4
 

森琴石の七絃琴=「平成19年8月【1】」・「平成20年1月【2】」など

 
注5
 

森琴石喜寿祝賀会 式次第(下書き)

★第7席に<明清楽合奏  平井連山 同社中> があります

森琴石喜寿祝賀会 式次第(下書き)

森琴石喜寿祝賀会 式次第

第一席 (森琴石)肖像陳列
父琴石喜寿、母ヤス古希祝賀
茶菓ヲ饗ス    会主 森雄二
第二席 盆栽陳列 一樹園
第三席 明清画展観 角山中春篁堂 井上柳湖堂
第四席 日本南画展観 高山中春篁堂 天山中春篁堂 児島八木堂
第五席 煎茶席 永藤淇翠堂
第六席 抹茶席 平井宗匠 同社中
第七席 明清楽合奏 平井連山 同社中
第八席 酒飯席  
第九席 模擬店  
第十席 模擬店  
第十一席 模擬店  

補足:喜寿祝賀会は、大正8年5月4日(午前9時〜午後4時)造幣局の近くにある料亭”鮒卯楼”で開催された。平成19年6月記述の”花外楼”は「鮒卯楼」よりずっと下辺に位置する。当時大川の端(ほとり)には多数の料亭が林立していた。時代の波や戦災などで殆どの料亭が姿を消す中、花外楼だけが現在まで存続する

★平井連山については、岩波書店刊「学海日録第6巻(明治18年4月26日分)」に、大阪桜の宮(造幣局泉布観の近く)、大川で合奏しながら舟行をしている”連山おうな”の興味深い描写がある。

◆来月度、森琴石喜寿祝賀会式次第の中から、森琴石の肖像についてご紹介します

 


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