森琴石(もりきんせき)1843〜1921

森琴石 調査情報

平成10年10月〜現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成19年(11月)

 
今月のテーマ
【1】 門弟「鎌田梅石」の足跡 《石敢當 
【2】 「明治記念標」の新資料

【1】

森家の古老によれば、「力のある門生の幾人かが病弱で早世した」そうである。「舩田舩岳」及び、先月度に記述の<花の画の巧みな門人>や「山名友石」・「鎌田梅石」・「藤井琴谷」などがそれらと思われる。

11歳より森琴石の門下となり、「近藤翠石」と並び、森琴石がその将来に非常に期待を寄せた「鎌田梅石」という門弟がいた。森琴石から愛育され、その技量や画風から<小琴石>と称された。四書五経などの教養は、自身が学んだ師匠「妻鹿友樵」に託した。別号を「抱琴」という事から、妻鹿友樵に七絃琴も習っていた可能性がある。

「鎌田梅石」の伝歴の詳細は不明である。15歳で「秋田伝神画会」で、3等受賞するなど、早くから頭角を表し、明治後期には一門をまとめ、森琴石門の中心的存在だった。しかし。僅かに残る<森琴石の日誌>には、大正元年9月、病気の為兵庫県西宮(にしのみや)に転地療養に赴いたとある。齢36才の時である。日誌以後の消息が不明な事から、療養の甲斐なく早い時期に歿したと思われる。

加えて明治後半期からの著しい南画の衰退や、第2次世界大戦による<都市大阪の崩壊 注1> は、「鎌田梅石」の名を、より遠いものへと追いやった。

しかし戦禍を免れ、「鎌田梅石」の足跡が大阪の中心部に残されていた。大阪市中央区八幡町の「御津八幡神宮 注2」には、「石敢當 梅石書 注3」と刻まれた「石敢當」が、井戸と俳句の記念碑の間にひっそりと佇んでいる。「石敢當」の文字は「鎌田梅石」により書かれたものである。

『石敢當」は、中国の後漢時代(200年から1800年前)に始まり、8・9世紀頃から各地に広まった風習で、道路のつき当たりや門・橋などに置く<魔よけ石>の事である。日本では沖縄や鹿児島に特に多く分布する。大阪市内での「石敢當」は、現在4ヶ所確認されている。

現在大丸南館がある場所に、当時旅館を経営していた<木村氏>が、自宅前に魔よけのおまじないとして設置した(年月不明)。その後ビルへの建て替えにより屋上に置かれた。更に後年、ビルは取り壊され「石敢當」は廃棄される事となったが、近くの「御津八幡宮」から救いの手が差し伸べられた。平成16年、「石敢當」は同神社に移設され現在に至っている。

「鎌田梅石」の現存作品の確認は非常に少ない。明治35年5月の作品、扇面「不老長春図」には、鎌田梅石は、森琴石が描いた老松に添え、師匠が愛した薔薇を描いている 注4

佐賀大学附属図書館の貴重書コレクション「市場直次郎コレクション」には、『鎌田梅石」の扇面「鶴図」が所蔵されている。同コレクションには、師匠「森琴石」を詠んだ「紫水」による扇面漢詩「題琴石」が収蔵されている。それら扇面作品が所蔵された経緯は不明であるが、子弟の縁は此のコレクションや扇面作品で、微かに繋がっている 注5

 
 
石敢當(せきかんとう 又 いしかんとう)
沖縄や九州南部で、道路のつき当たりや門・橋などに「石敢当」の3文字を刻して建ててある石碑。中国伝来の民族で、悪魔除けの一種。

鎌田梅石の「石敢當」情報及び資料ご提供者=伊藤純氏(大阪歴史博物館)

 
注1
 
第ニ次大戦での大阪の町と門生の行方
この大戦で大阪の町は一面焼け野原となり、瓦礫に中、遺体が山のように積み重なっていたという。難を逃れ疎開したり近郊に移転する者も多かった。森琴石の作品の所蔵者で、故郷に避難した方の話では、掛け軸などの比較的軽い美術品は、大八車で疎開先に運べたが、家財道具類や、美術骨董品・屏風などの重くてかさ張るものは全て置き去りにせざるを得なかったそうである。門生も殆どが子や孫の世代へと代わり、先代が残した作品共々消息不明となったようだ。戦時下の昭和19年7月、琴石長男雄二死亡時に、かつての門生から連絡があったのは、「舩田舩岳」のご子息、老衰で病床の身にあった近藤翠石のみだったようだ。
 
注2
 

御津八幡神宮(みつはちまんぐう)の 昔&今

:響泉堂刻「大阪名所独案内」より

御津八幡神宮/

大阪名所独案内=伴源平著/響泉堂刻/吉岡平助 発行/明治15年3月

御津八幡宮=大阪市中央区西心斎橋2−10−7
大阪日日新聞<森琴石と歩くおおさかの町>からもご覧いただけます

:「石敢當」は、鳥居をくぐると、すぐ左下にあります

鳥居

 
注3
 

「鎌田梅石」の「石敢當」

「石敢當 梅石書」

★「御津八幡宮」の「石敢當」は、大阪市内で確認されている4箇所の内の一つ。

 
注4・5
 
門人紹介:大阪市北区「鎌田梅石(五)−鎌田梅石の作品」をご覧ください。
 
【2】

平成17年5月8月」及び「論文:平成17年12月」に記述の「明治記念標」に関する新資料を、大阪市の追手門学院の宮本直和氏よりご提供頂きました。新資料は、後月適当な時期にご紹介させて頂きます。


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