森琴石(もりきんせき)1843〜1921
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森琴石 調査情報

平成10年10月〜現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成19年(9月)

おかげr様で10周年!

 
今月のテーマ  森琴石は有名な薔薇愛好家だった
【1】『薔薇栽培新書』
〜森琴石のバラ愛好度は「白楽天」を凌ぐほどであった〜
【2】森琴石と本草学・博物学との関わり
【1】

平成19年5月」でご紹介しましたが、木蘇岐山の詩文「森琴石読画廬 賞薔薇」では、森琴石の自宅<北区高垣町の庭園に植えられたバラ>が、鳳凰の羽で織ったような華麗さを見せ、その甘くも魅惑的な香りに誘われた蝶や燕が、色とりどりに彩なす花園(はなぞの)の上を去りがたい様子で舞っている光景が描かれている。煎茶の作法も完璧で、森琴石の文人度は、元時代の「倪 雲林に次ぐ風流人」と評価した。

明治35年7月に刊行された『薔薇栽培新書 注1』の中、<薔薇陳列会 大阪 注2>には、「木蘇岐山」の詩文を再現するかのように、森琴石の自宅で栽培された薔薇について記録されている。

『薔薇栽培新書』の著編者「賀集久太郎」・「小山源治」両氏は、森琴石の自宅を訪問し、森琴石の趣味風流に感嘆した。

薔薇が咲く毎年、森琴石は遠近の知人を自宅に招待した。森琴石が自宅の庭園で栽培した薔薇は三百種類に及び、盆栽は八百鉢を越え、花壇や垣根にも趣向を凝らした。

招待客は、薔薇の色香にあふれた庭を観覧、座敷に飾られた南画家の傑作を展観し、茶室では煎茶がふるまわれた。供する菓子には「不老長春」の名があり、酒席の酒盃には薔薇の絵が描かれていた。

中国では薔薇のことを「長春」という。また「長春」は、中国から渡ってきたバラの一群(種類)で、日本でも栽培は古く、徳川時代の本草書にも記録がある。

それら招待者への気配りや設備から、森琴石の薔薇の愛好度は、「唐の白楽天をしのぐほどのもの」と、文人としては最高の賛辞のことばが、『薔薇栽培新書 〜薔薇陳列會 大阪』 で綴られている。

森琴石の庭園の雰囲気を知る写真(真冬の頃)や、庭の造作物を記録した控え帳が現存する 注3

日本でのバラ観賞は、西洋文明の導入と共に花開いた。明治3年頃、和歌山県の山東一郎氏が米国から取り寄せた約450品種、あるいは明治初期の開拓使団に米国から届いた36品種程の輸入から始まるといわれる。明治10年頃のバラ栽培は庶民の楽しみではなかったようだ。有力者らの間でブームが起こり《一種の社交上の流行》を呈した。

森琴石は、早くから薔薇の栽培を試みていたと思われ、明治12年頃からの、響泉堂刻の銅版書物などには、薔薇を扱ったものが多く見られる 注4。森琴石は自宅で栽培した300種類のバラを精密に写生していたと思われ、<画譜>の画稿が存在した可能性がある。

西洋花の女王として君臨するバラは、同時にその栽培は非常に難かしい。京都の「朝陽園」経営者「賀集久太郎 注5」は、幾度も実験を繰り返し、新手法を考案するなど、薔薇の栽培の大貢献者であった。「賀集久太郎」は、兼ねてより薔薇の栽培に関しての文献資料が、日本には2,3の翻訳本しか無い事を懸念していた。明治30年9月、それならばと、自らが著すことを決意した。以来、出版に向けて編著の作業に余年がなかったが、3年後の明治33年10月、図らずも脳出血で倒れ、医薬の効無く他界した。

京都の素封家で、京都博物会会員でもある親友「小山源治 注6」らが中心となって、同氏の遺志を継ぎ、遺稿を元に編集に取り組み、明治35年7月『薔薇栽培新書』はようやく出版された。

「賀集久太郎」は、「朝顔培養全書」や「芍薬花譜」の著書があり、明治28年3月に出版された「朝顔培養全書」の奥附の広告に、『薔薇栽培新書』の刊行が真近であると紹介している 注7

当初の予定より5年近く遅れて出版された『薔薇栽培新書』は、薔薇や栽培に関する学術知識や技法はもとより、薔薇をテーマにした漢詩や俳句、西洋詩文まで収録されている。当時の薔薇文献としては画期的な栽培指南書であると、当時の農業・園芸誌などでも紹介された 注8

 
 

『薔薇栽培新書』ご提供者=はるまき氏(高知市・薔薇愛好家・園芸史研究家) 尚、はるまき氏のご好意により原本を拝借させて頂きました。
またバラについてのご教示を各種賜りました。

薔薇に関する諸知識や、☆明治時代の薔薇陳列會☆ は、はるまき氏のサイト 《Rose-colored Glasses》に 全文記述があります。

『薔薇栽培新書 ☆明治時代の薔薇陳列會☆』=下記アドレスの中ほど以下にあります。http://bitter.sweet.coocan.jp/contens/wamei/X.html

 
注1、注2、注3
 
『薔薇栽培新書』
(賀集久太郎氏著/小山源治編/朝陽園刊/明治35年7月/204頁)

★資料ご提供者=はるまき氏(高知市・薔薇愛好家・園芸史研究家)

★『薔薇栽培新書』は、国立国会図書館 近代デジタルライブラリーから閲覧できます。

目次
名義
植物分類学上の薔薇
日本産の薔薇の種類
園養薔薇の種類
支那書籍に見えたる種類
日本に栽培せられたる沿革及び種類
一季咲三季咲四季咲の種別に就て
内外国にて薔薇の種類を注意せし記事の一二
栽培法
花芽を発生せしむる一般通則/薔薇早咲栽培法/薔薇の開花を早うする方法
薔薇の開花度数と時日/花壇栽培/花蕾腐敗の原因及び予防法
接木苗と挿木苗との優劣/ 種苗買入に就ての注意 / 虫害及び病害 /繁殖法/応用
薔薇陳列会
薔薇祭
詞藻
薔薇に就ての外国の花言葉    ・・・・以上 二十四章・・・・・


<薔薇陳列會>
京都(詳細省略)
京都薔薇盆栽會 =明治三十一年五月十八日京都室町通リ中立賣下る(新樹閣に於て)
第一部:長屋重名氏の出品
第二部:谷田榮壽氏の出品
第三部:唐橋在正氏の出品
第四部:堀江元明氏の出品
第五部:荒城重雄君の出品

京都薔薇陳列會は其後引續いて、年々有志が集合して、五月中旬に開會し各自培養の優品を陳列した 



大阪

大坂には南宗畫で關西に有名な、森琴石畫伯が又有名な薔薇愛好者で、其の北區小松原町(注:高垣町の間違い)の邸園は悉(ことごとく)皆薔薇を植ゑ付けてあつて種類の數は三百 盆栽は八百鉢を越え、地植も又數え難たい程と聞きました、

年々五月の中旬に日を定めて遠近の知人を招待されますが編者も一度招かれて觀覧の榮を得ましたが、一日は男子 一日は婦人客といふ定めで、其來觀者の多數な事も推されます、玄關の前には叢性のもの、左右には垣造りが、各今を盛りと咲て居ります、座敷には床に南宗の畫人の傑作が展觀せられて。

縁側は名花の盆栽を並べてあり、庭は垣に花壇に盆栽に色と香を競ふて其陰に榻(とう)あり、几(つくえ)ありで、休憩の地が設けてある、又一室の軒端に茶旗が片々と初夏の風に飜つて、煎茶を供せられました、菓子は圓形の不老長春と題した紅白のもので、中々に意匠を凝らされた様でありましたが、猶別席に酒飯の設けがありまして酒盃に薔薇の畫かれたは、畫伯社中のものでありました、以上の如くで中々の盛會是程の設備畫伯が此花を愛好の程度も唐の白氏に勝さる有様であります、

異境で京都大坂に於ての此種の會合の景況一般を知らるゝことゝ存します其他の各地では薔薇のみで會合を開かれることを承知しません。



森家 庭園

1:明治44年1月

森家 庭園1

森琴石・妻ヤス・孫しげ・孫加津・孫寿太・長男雄二・今里マス(親戚同然に付き合った知人)




2:大正6.7年頃

3:森琴石最晩年(大正9年頃か?)

森家 庭園2 森家 庭園3

写真:孫 森寿太(亡父)

 

1・2・3=撮影はほぼ同じ場所と思われる



4:大阪市北区北野高垣町二四三四番屋敷建物
  造作 家作物及び附属物 点数帳※(大正12年頃)より


前栽 石 樹木ノ部

造作 家作物及び附属物 点数帳

次ページには xx造/シックイ一式/松4本/かいづか1本/桜5本/下木(低い木)数十本 が記述


森琴石歿2年後の大正12年、北区高垣町の自宅は他者に貸し、「料亭」として利用された(昭和20年戦火の為全焼する)。上記点数帳は引渡しする為に記録したもの。未亡人ヤスは、大阪府豊能郡新免(現在の豊中市本町/小林一三が開発販売の住宅地)に転居した。



5:森琴石と画室(読画廬/大正8年頃)

森琴石と画室

障子や窓越しから 庭が垣間見られる

 
倪 雲林(げい うんりん)=倪 さん(山+賛)
(1301−1374) 画家。元末四大家の一人。字は元鎮。雲林と号す。江蘇無錫の人。薫源に学び、画風は特に品が高く静閑の趣に優れる。若くして老荘の思想にあこがれ、精神の芸術を主張、後年は禅の悟境に傾倒した人物。
白楽天(はくらくてん)=白居易(はくきょい)
(772-846) 中国、中唐の詩人。号は香山居士また酔吟先生、字(あざな)は楽天。陝西の人。官吏の職にあったが、高級官僚の権力闘争にいや気がさし、晩年は詩と酒と琴を三友とする生活を送った。その詩は流麗で平易で、「長恨歌(ちようごんか)」「琵琶行」などは広く民衆に暗誦された。日本にも早くから伝わって、平安朝文学などに大きな影響を与えた。詩文「白氏文集」の他、「秦中吟」「新楽府 五十首」など、社会や政治の腐敗を批判した社会詩もある。
注4
 

響泉堂刻<薔薇>デザインの銅版書誌

★画像及び書誌データご提供者
熊田 司氏(大阪市立近代美術館建設準備室 研究主幹)

A:『記事論説文例』 前附

明治12年6月

B:『近古史伝』 前附

明治12年5月

記事論説文例 二巻
近古史伝 下

18.8×12.0cm
[ 田中義廉閲,安田敬斎著/前川善兵衛出版 ]

12.7×8.6cm
[ 近藤元粋閲,福田宇中編纂/真部武助出版 ]


C:『近古復讐 日本義烈傳』 前附


明治13年12月

近古復讐 日本義烈傳 巻下

12.8x8.7cm

「福田宇中著/真部武助出版」

B,Cの花台・花瓶・鉢などの道具類は、森琴石の身近にあるものと思われる

 
注5
 
賀集久太郎 (かしゅう きゅうたろう)
★文久元年6月15日、淡路島三原郡賀集村で誕生。賀集家は代々村長の家系。
★県立医学校卒業後、医師となるが病気となり、療養の為家族ともども京都に移住。病気治癒後は、療養を兼ね、先代が趣味とした「園芸」に携わる。親族平瀬氏の種苗部をついで「朝陽園」と名付け、園芸の改良進歩をはかる。

平瀬氏=平瀬与一郎・淡路島福良(ふくら)の富商の生まれ。貝類学研究者として世界的に著名。当時京都で家畜、種苗を商い、輸入業もしていた。

★「朝顔培養全書」・「芍薬花譜」などを編著
★「薔薇栽培新書」を編纂中、脳溢血で倒れ、明治33年10月19日永眠する。行年40歳。
★『日本園藝會雑誌 』への最終寄稿=明治33年9月 第百号
★住所=京都市上京区中長者町室町西ヘ入東長者町十一番戸

―「薔薇栽培新書」(賀集久太郎氏著/小山源治編/朝陽園刊/明治36年)―より

 
注6
 
小山源治 (こやま げんじ)
★京都の素封家
住所:京都市河原町広小路下る西へ入る(明治40年代の紳士録)
★「薔薇栽培新書」の編者
★「京都博物會員」(「薔薇栽培新書」での記述肩書)
★動物学雑誌への投稿文
 「明治卅三年四月京都付近に於て採集せる蝶の名稱報告」/「京都附近の蝶報追加」
★その他新聞記事
 上田秋成の追薦会に所属
★蔵書本を寄贈
 1:京都大学附属図書館 一般貴重書(和書) に 「小山源治旧蔵本」の所蔵
 2:天理大学附属天理図書館
  天香園文庫=小山源治旧蔵本での文庫

調査ご協力=忽名氏(京都大学附属図書館参考調査掛)

 
注7、注8
 

『薔薇栽培新書』 −紹介記事及び広告文章−


★資料ご提供者=渡辺好孝氏(川崎市・朝顔資料館代表/朝顔研究家/栽培史研究家)


「朝顔培養全書」 第3版 奥付
●賀集久太郎著 薔薇栽培新書 西洋綴美本全一冊 定価郵税共五十銭
右ハ来ル九月中ヲ以テ出版スベシ、如何ニ美麗ノ珍種ヲ紹介スルカ、
如何ニ天秘ヲ窺フノ妙術ヲ記セルカハ刷行ノ日ヲ待テ知ラレヨ
「朝顔培養全書」奥付
(明治43年5月30日六版発行)
●故賀集久太郎遺稿 友人小山源治追補 薔薇栽培新書
 洋綴最新形頗美本一冊 正価八拾銭 郵税拾銭
四時花を開き芳香馥郁として盆栽に或は庭樹に籬垣に栽培し挿花に或は
洋風の花束花環盛価花用として缺くべからざる植物如何と問を発する者あ
らば萬口一致皆薔薇花なりと答ふべし而して其栽培の術を指示する書に乏
我故園主其缺を補はんとして本書の編纂に従事する事数年一朝逝て帰
らず小山氏其後を受けて本書の完成を得たり其内容を饒舌せんは自賛の
嫌あるを以て左に世評の一二を掲げて観者の推知に任ぜんとす
日本園芸会雑誌 125号
●此の書は小山源治氏の編纂に係り、初めに薔薇の植物学上の定義を掲げ、徳川時代に於ける薔薇及び維新後の薔薇を順次に記述し、終りに薔薇花の詩藻を掲げ、加ふるに、写真石版数葉を挿み、用意周到体裁高尚にして近年得易からざるの良書なり。顧みるに維新後、薔薇の我国に輸入せられし以来、時機に投じ薔薇著書の発行せらるるもの二三に止まらざるも、是等の書は只僅に一篇の翻訳に過ぎず。然るに此書の如きは実に一頭角を抽出するものと謂ふべし。今日より薔薇の栽培に従事するもの、此書を左右に備へ指針となしたらんには、蓋し、得る所少なからざるべし。
農業雑誌(820号)
●本書は故京都朝陽園主人賀集久太郎君の遺稿を友人小山源治氏が編纂せるものにして、薔薇に関する著書の絶無とも云うふべき今日、花卉愛植者座右の珍たるべし。紙質善良、印刷鮮明、其の内容の如何は、次の目次によりて察することを得べし。即ち、名義、植物分類学上の薔薇、日本産の薔薇の種類、園養薔薇の種類、支那書籍に見えたる種類、日本に栽培せられたる沿革及び種類、一季咲三季咲四季咲の種別に就て、内外国にて薔薇の種類を注意せし記事の一二、栽培法、花芽を発生せしむる一般通則、薔薇早咲栽培法、薔薇の開花を早うする方法、薔薇の開花度数と時日、花壇栽培、花蕾腐敗の原因及び予防法、接木苗と挿木苗との優劣、種苗買入に就ての注意、虫害及び病害、繁殖法、応用、薔薇陳列会、薔薇祭、詞藻、薔薇に就ての外国の花言葉の二十四章とす。栽培法、花壇栽培、繁殖法の各章は更に数節に分ち詳述せり。
読売新聞(発刊日不明)
●紙数二百余頁、先づ、植物分類学上に於ける薔薇の地位より説き起して、日本産支那産等の種別、一季咲三季咲四季咲等の種別、栽培方法に及び、次に害虫の駆除法、分植、挿木圧條、接木等の心得を説き、用意周到記事詳密、園芸家の好伴侶たるべきのみならず、巻末に付記せられし薔薇に関する和漢西洋の詩歌は、製本の美麗と共に、錦上花を添たる観あり。
 
『芍薬花譜』 (賀集久太郎編/京都:朝陽園/明31.9) について

「朝顔培養全書」 第3版 奥付 (明治28年3月27日初版発行)の広告文章には

「朝陽園主人撰 芍薬花譜 奉書彩色摺 畫帖仕立一冊 正価金壱円郵税六銭 絹表紙上等製廿銭増 本書は芍薬花二百余種の中に就て其最も優秀なる二十四種を選抜して其眞形眞色を描写し原版百余枚を用ひて印刷したるものなり」 と記述されている

◆資料ご提供=渡辺好孝氏(川崎市・朝顔資料館代表/朝顔研究家/栽培史研究家)

 
【2】

平成19年1月【1】および【2】」でご紹介していますが、森琴石は、「田中 芳男」や「岡 不崩」など、本草学・博物学に造詣の深い人物との関わりが見られる。森琴石の薔薇陳列会には、両者も訪問していたと思われる。また森琴石の周辺には「牧野富太郎」などの存在もあり、森琴石と本草学・博物学との関りはかなり深いようだ。

―来月度につづく―


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