森琴石(もりきんせき)1843~1921

森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成17年(5月)

倉敷市立美術館新収蔵作品展で、響泉堂刻の銅版「明治紀念標 百 分一縮図 注1」が展示されている。版画は岡山での洋画の草分けとさ れる、岡山総社の画家「堀 和平 注2」の、絵画作品に付随していた。 「響泉堂森琴石」は、維新後の大阪で、洋風表現をなした最初の画家 である。手段「銅版」で発揮した。

 
 
注1  
 
 

「明治紀念標 百分一縮図」=大阪「博交社」による「紀念標建立」に向けて、
               寄付を呼びかける広告として作成されたもの

正面 
100分の一 に縮図した「紀念標」の設計図が大きく描かれている 紀念標右下「森琴石製図」・左下「大阪響泉堂銅鐫」
左端中心部 「紀念標」を中心とする中之島の風景図が、鳥瞰図風に細密に描か れている
上右端
「明治十二年 博交社」による、基金募集・方法が書かれている
上左端
台石や標の材質・寸法及び、寄付金額に相応する特典が書かれている

画像データご提供=杉野文香氏(倉敷市立美術館)

 
明治紀念標(めいじ きねんひょう)
西南戦争の戦死者追悼慰霊碑として、大阪博交社  が中心になり軍関係者と市民等の 寄付で造り、明治16年5月、大阪中之島の豊国神社西隣(現在の中央公会堂後陣あたり )に、明治紀念標が建立された。砲兵工廠で鋳鉄製標柱の製造が開始されたが、製作は 困難を極め、完成時には設計図とは異なるものとなった。その後明治35年市立公会堂 の建設に伴い陸軍の偕行社に移設された。昭和18年、第二次世界大戦中に金属供出の為 撤去された 

大阪日日新聞「森琴石と歩くおおさかの町 」より「明治紀念標(2004/04/15)」熊田司氏(大阪 市立近代美術館建設準備室研究主幹)などによる。
 
  大阪博交社

明治9年(1876)大阪鎮台の将校有志が合同学舎として「将校集会所」を創り、 「博交社」と称した。

 
注2 堀 和平= 841(天保12)- 1892(明治25)
  
  洋画家。岡山県総社市に生まれる。備中松山藩の御用達を勤めるほどの富商であった 家業を継ぎ、反物を商うなど実業家として活躍した。1879年から翌1880年まで県会議 員として活躍する一方、神戸での仕事の合間に外国人から油絵の技法を学んだと言わ れる。菅原道真を描いた「天神像」や「母子像」など、日本的な画題に陰影や立体表現な ど洋画の技法を取り入れた作品を残し、岡山の洋画史の草分けとして重要な位置にあ る。満谷国四郎の従兄でもあり、国四郎は幼少時よりしばしば和平のアトリエを訪れて いたという。1891年、貿易商となるため神戸に移るが翌年急逝する。杏邨と号して日本 画も描いた。(倉敷市立美術館)
 
 

同志社大学の「新島 襄遺品庫資料」では、同志社大学を創設し た「新島 襄 にいじま じょう」の遺品が公開されており、響泉堂刻 の「福井縣全図 注1」(岩佐静夫編・酒井安兵衛出版)が収蔵され ている。

岐阜県図書館世界分布図センターには、上記響泉堂刻の「福井縣全図 注2」及び、 「若越 じゃくえつ 両国全図 注3」が収蔵されている。共に編者「 岩佐静夫」、出版「酒井安兵衛」によるものである。

森琴石は、中部北陸地方との関わりが深く。小浜や若狭などの福 井方面を舟から描いた地形のスケッチ、多治見方面での同様のスッ ケッチなど、琴石の足跡を示すものが手元に残っている。多治見の 窯元と親交していた 注4。明治34年10月20日、 愛知県一宮市では「日本南画協会一宮支部 注5」が開設された。一 宮からは「森 泰石・森 半景 注6」が、森琴石に画を学びに来阪 するなど森姓の者との縁があるようだ 注7。明治44年7月、名古 屋で開催された「第三回 日本中央南宋画会 注8」では、「西尾雪江  注9」・「吉村清琴 注10」など、若手門生が出品している。

 
 
注1 新島襄遺品庫資料:「全面公開・上16、遺品G地図」にあります。
 
注2   福井県全図=岩佐静夫著・酒井安兵衛出版・明治15年(1882)・響泉堂銅刻
     
   
  福井縣全図  
 
   
 
明治八年余敦賀縣奉職中
若越両國地図圖調整ノ
命ヲ奉シ乃チ各郡ノ山
川ヲ(足+夬)渉シ足踏法ヲ以
テ一地圖ヲ製ス而メ今
其圖ニ地租改正實測ノ
圖ヲ抜萃シ十二萬分ノ
一ニ縮製シ旦市街ノ地
ハ凡三萬分ノ一ニ縮メ
以テ福井縣管轄便覧全
地圖ト為スト云フ 
 
(※原文は縦書き11行)
明治十五年四月   岩佐静夫識
奥附  
  明治十五年四月十三日 版権免許
  明治十五年八月五日  刻成発兌
 
  編輯人  福井縣士族 岩佐静夫 
      (越前國足羽郡福井清川上町百十九番地) 
  出版人  同縣平民 酒井安兵衛 
      (同國 同郡 佐久良中町百八番地)
  枠外   大阪高麗橋栴檀木 響泉堂刻
 
データご提供=岐阜県図書館世界分布図センター
 
   
注3   若越両国全図=岩佐静夫編・酒井安兵衛出版・響泉堂銅刻・明治16年
若越とは、若狭国と越前国(福井県)の事をいう。
 
 
  若越両国全図  
 
明治八年余敦賀縣奉職中若越両國地図圖調整ノ命ヲ
 
奉ジ乃チ各郡ヲ(足+夬)渉シ足踏法ヲ以一地圖ヲ製ス
而シテ今其圖二地租改正實測ノ圖ヲ抜萃シ二十四
万分ノ一ニ縮製シ旦市街ノ地ハ凡四万五千分ノ一
ニ縮メ以テ若狭越前両國便覧ノ地圖ト為スト云フ
明治十六年五月 岩佐静夫識
 
奥附  
   明治十六年八月   刻成発兌
  編輯人  福井縣士族 岩佐静夫 
      (越前國足羽郡福井清川上町百十九番地)
  出版人  同縣平民 酒井安兵衛 
      (同國 同郡 佐久良中町百八番地)
  枠外   大阪高麗橋栴檀木 響泉堂刻
 
データご提供=岐阜県図書館世界分布図センター
 
  福井市で「岩佐静夫」、「酒井安兵衛」について、当時の在籍を示す資料は、同地区での 度重なる災禍の為不明との事。
   
注4
  多治見と森琴石との関係は、「平成14年9月」「平成15年8月 第一項目」 をご覧ください
注5
  日本南画協会一宮支部開設=「一宮支部発会図録全」による。
 
    「一宮支部発会図録 全」 ―明治34年10月20日の記録―

扉字:富岡鉄斎  題辞:望野億(香渓)

第一席
新書画展覧(地蔵寺)
展覧者名: 岩田心斎・富岡鉄斎・池田桂仙・青根竹泉・長坂雲在・山本梅荘・松本白草・山本石荘・兼本春篁・石尾松泉・内海吉堂・大雅堂定亮・田近竹邨・前田荷香・間島竹荘・秦金石・河村虹外・望野香渓・浅井柳塘・奥田天門・児玉果亭・田能村直入・中川柏陰・永井香圃・関口老雲・松山鴨江・山本香雲・織田杏齋・仙田半江・津田洞庵・田中雪華女・真野香邨・脇田水石・村上華雲・森半逸・吉田桂舟・辻東山・長江少岳・平野古桑・松井其楽・森松堂・河合梅渓・山田松香
 
琴石門下
森半景・田川春壮・山名友石・森琴石・鎌田梅石・氈受楽斉・近藤翠石 ・佐野琴岳(のち佐野岱石に)
  庭園席
茗主(刈安賀 関戸氏)
第二席
古書画展覧(森 林右衛門氏別荘・展覧者名省略)
第三席
揮毫席 酒饌席(速水氏別邸・出席画家:京都8名のみ記載)
第四席
煎茗席(山下氏邸宅)
後跋
大雅堂定亮
奥附
日本南画協会尾張国一宮支部役員
支部長
森 東一郎
幹事長
丸井義軌
幹事
土井覺太郎・森林右衛門・内田鍬太郎・神戸芳太郎
同兼司計
中村一太郎・豊島久七
商議員
関戸藤右衛門・速水鋭一・神戸源助・山下隆・村上敬一・原田清六・丸井静三郎
理事
小川元次郎・森吉兵衛
   以上 (非売品・森逸男氏よりご寄贈)
   
「森泰石・森半景」については、門人紹介「中部・北陸地区」をご覧ください。
森泰石と森半景(半溪)はいとこ同士。半景の兄は「森半逸 a」。三者は、尾張国葉 栗郡島村(現一ノ宮市)の生まれ。これら森家は尾張国戦国武将兼松家 b に仕えた家 臣団の一員。その兼松家に従い、越前福井から葉栗郡に移住したと伝えられている。
a
森半逸:南画家・村瀬秋水、前田暢堂に師事。後年「森泰石」の後継者となり、森泰 石に嫡子が無かったことから、半逸の長男「森茂三郎」氏が森泰石の養子となった。
b
兼松家は越前国北庄兼松村(足羽郡※あすわぐん・現福井市)の出身とされ、備前 守 びぜんのかみ 正利・正徳・秀■・正吉と受け継がれ、尾張国葉栗郡島村に移住 した。
 
  a・b ご提供者=故森逸男氏※(2004年12月ご逝去)
※森逸男氏は森茂三郎氏の長男で(森半逸の実孫)、森泰石の森家を継いだ。
*2003年8月森逸男氏を訪問 
 
注7
  森姓と中部地方に関しては、「平成16年2月 注1」をご覧ください。
   
注8
  「第三回 日本中央南宋画会」=「姿態横生」(日本中央南宗画会発行・明治44年)
   
  「姿態横生」 (第三回 日本中央南宗画会 展覧図録)
題字
細川十洲  序分:錦山矢土暢之(古今堂澹園)
出展者
150名(省略)
琴石門下
石野香南 注11・西尾雪江・鎌田梅石・吉村清琴・近藤翠石・佐野琴岳(佐野岱石)・森琴石・森半景 
理事
宮崎厳々・大隈天山
奥附
明治四十四年七月廾五日発行
著作者兼発行者
名古屋市東区西新町一丁目十五番地日本中央南宗画会
書記原筆印刷者
名古屋市東区京町通一丁目五番地 山田十造
発行所
名古屋市東区西新町一丁目十五番地 日本中央南宗画会
非買品  (栃木県真岡市「渡辺私塾」渡辺淑寛氏ご寄贈)
 
注9・注10・注11
 

西尾雪江(にしお せっこう)
明治二十一年六月生。名は寛、字は子簡雪江と号す。河内牧野に生る。 明治三十五年波多野花涯女史に就き南宋画を学ぶ。同三十七年森琴石 の門に入り、爾来研鑽怠らず、東京美術協会、展覧会その他諸会へ出 品受賞せしこと数回。 住所、大阪府北河内郡牧野村大字小倉(「姿態横生」)

吉村清琴(よしむら せいきん)
名―すみ。明治廾年五月生大阪に生る。幼より画を好み十歳より藤田 台石に就き画を学ぶ。後、森琴石の門に入り、益々画法を研究す。曽て 諸会へ出品し、賞を受けしこと数十回。 住所、大阪市長堀南通4丁目(「姿態横生」)

石野香南(いしの こうなん) 名は徹、字は子徹、香南は其の號、明治六年一月金澤に生る。初め画を青山観水に学び、後垣内雲りん(山へん+米のした舛)の門に入る。傍ら木蘇岐山に就て詩を学ぶ。後東京に遊学すること十許年。明治四二年居を大阪に移し、更に画法を森琴石に質す。住所、兵庫県下西ノ宮如意寺内(「姿態横生」)

「西尾雪江・吉村清琴・石野香南」は、後月門人紹介「近畿地区」に移行します。

 


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