森琴石(もりきんせき)1843~1921
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森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成16年(12月)

砥部焼き研究者の山本典男氏より「砥部焼き歴史資料 第一集 注1」資料や、「胡鉄梅」・「森琴石」のご情報の提供を頂く。明治18年・19年の海南新聞(愛媛新聞の前身)には清国画家「胡鉄梅」や「森琴石」が砥部焼きで染付けしたという記事が掲載され、「陶説」第63号 (昭和33年6月・社団法人 日本陶磁協会発行)、太田和堂 注2氏著述「砥部焼」の解説写 真には、森琴石が明治19年10月、砥部焼き「愛山窯」で染め付けした煎茶器が使用されている。また琴石が多くの足跡を残している「美濃焼き」の多治見と、「砥部焼き」との関連が深かった事が知れた。下記にそれら資料から一部を抜粋ご紹介する。

注1
「砥部焼き資料 第一集」
(資料提供者山本典男・砥部焼き伝統産業会館編集発行・平成9年)
  砥部焼き年表(近代)より
   
明治18年(1885): 清国画家胡鉄梅、砥部にて絵付けをする。
向井和平、城戸徳蔵と計って長崎商人小村徳平を通じて清国安東県に初めて砥部焼きを輸出。
明治19年(1886): 大阪の南画家森琴石、愛山窯に滞在焼物に絵付けをする(煎茶器、手炙りなど)
明治22年(1889): 富岡鉄斎、砥部に来る。
(明治11年に鉄斎の妻春子の実家佐々木家が砥部に移り住んだでいた)
明治26年(1893): 城戸徳蔵、向井和平 美濃国より板津鉄治、船澤民九郎の両人を雇い銅版染付け法を伝える
明治36年(1903): 向井和平大阪南区心斎橋二丁目(えびす橋北詰)に支店を出す
明治41年(1908): 陶画師酒井八四郎 注3、多治見の西浦製陶所 注4 より下向井窯に来る
    
  山本典男氏調査資料メモより
   
◆森琴石:井部コレクションが久万美術館に収蔵される前、整理の段階で森琴石煎茶器があった。 
◆胡鉄梅:明治20年:道後に来た(旅館に滞在、墨絵を描く=海南新聞記事)
◆森琴石:明治19年 「愛山窯」てあぶり 染付蘭絵(寒鳳蘭)
丙戊初冬  作於南海  豫山砥部  愛山堂中   琴石
  木箱の裏  明治卅弐年十二月(購入日と思われる)
  木箱の横  愛山窯製 森琴石画 手阿婦里(てあぶり)
  寸法 高さ16cm 直系16cm
◆『陶説』説明写真
 煎茶器 「蘭」の絵付けに添えた文字
 「露滴蒼玉 丙午晩冬寫於南豫砥部 愛山楼上 琴石」・蓋表「碧雲館清玩 愛山製之」-
◆茶器や手あぶりは、染付けとあるから「呉須」で描かれたもの
    
注2   太田和堂(政太郎)氏=陶芸研究家・大洲中学美術教師・「陶説 No.24」に「吉向焼始祖の家系と大洲藩内諸窯」 (昭和30年3月1日)を著している。
注3   酒井八四郎氏は「如雲」の号を持ち、「砥部工業学校」で教師(デザイン画)も務めた。愛媛陶芸協会会長で、「五松園窯」代表の孫の酒井芳人氏は、現在砥部町の無形文化財保持者でもある。
注4   陶器卸商、多治見の西浦家は、弘化4年(1846)西浦江戸店を開く前年に、大坂の西横堀で「西浦大坂店」を開店している。初代支配人は安兵衛。
  森琴石と「美濃焼き」及び多治見の「西浦家」については、「平成14年9月平成15年8月」をご覧ください。
     


 

石癖 注1の趣味のある森琴石は、明治20年、滞在先の赤間関(現山口県下関市)で、鑑賞した「霊石 注2」の箱書 をしている。

注1   石癖=奇石や水石、また硯、印石などの収集鑑賞を趣味とすること。
   
注2
  「霊石」=霊壁石と言い、中国宿州霊壁県、安徽省鳳陽地区に産する石。別 名磬石(けいせき)ともいい、文 人に最も好まれた奇石中の雄。庭園には太湖石を置いたが、書斎にはこの霊壁石が置かれた。色は漆黒で非常に 硬く光沢があり、穴が多くあいている。この穴は木の根が入り込んだものだと言われているが、不明。
   
霊石解説:伏見无家(ふしみ むか)氏= 琴學研究・七絃琴弾奏家

霊石箱書
  小釣臺:丁亥旦月観 於馬関■覺軒 欣賞之餘逐題 浪華琴石道人(蓋表識)
情報ご提供:成澤勝嗣氏(神戸市立博物館)
   
  赤間関滞在については、最新情報「平成12年6月」で触れています。
   
  森琴石の石癖については、当HPリンク情報「鎌倉琴社 雑記録」
「森琴石紹介(文献)」・詩、賛「題 琴石」 をごらんください。




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