森琴石(もりきんせき)1843~1921

森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成16年(10月)

9月半ば過ぎ、東大阪市にお住まいの、森琴石の高弟「近藤翠石 こんどうすいせき 」の孫宅を訪問する。香川県丸亀市より大阪に出、森琴石の内弟子として6年間師事した近藤翠石は、琴石の家族を含め周辺から最も頼りにされていた。旧制豊岡・堺・桃山中学校での図画教師 注1 を8年間務めた後、大阪の名だたる財界人 注2 に、画の教授をするなど、自らも多くの門生を指導する。それらが後援者となり、中国や欧米に漫遊旅行をした。記録としての瀟洒なスケッチ類が大量 に残されている。翠石描く「琴石肖像画」があり、森琴石が近藤翠石に宛てた書簡、森琴石に宛てた清国文人「衛鋳生」・「王冶梅」・「胡鉄梅」・「朱印然」 注3の書簡、大阪の儒学者「藤澤南岳 ふじさわなんがく、高松出身 」が「南宗画会」で講演した原稿も残されており、それら書簡類や原稿が、巻物にと装丁され大事に保管されていた。また翠石は、琴石没ニヶ月後の大正10年5月に、琴石の印譜集「森琴石先生印存」を製作している。 国学者、篆刻家「近藤石顛 こんどうせきてん 」(別に尺天と書く)は実兄である。

  近藤翠石の伝暦は、「門人紹介・四国地区・香川県」をご参照ください。
 
注1   豊岡中学=現兵庫県立豊岡高等学校・堺中学校=現大阪府立三国ヶ丘高等学校 桃山中学=現大阪市の私立桃山学院高等学校
   
注2
  石井鉤三郎、田艇吉、坪田十郎夫妻、芝川又右衛門、外山捨蔵夫妻、橋本喜作夫妻、野呂克三、六花真也など。石井鉤三郎氏は当項目「平成16年3月(注釈)」、田艇吉氏は「平成15年7月」に記載あり。
   
注3   下記は4氏の書簡にある住所など一部を紹介する。
(日誌・書簡:「清国人の書簡」を ご覧下さい)
衛鋳生
(えいちゅうせい)
大坂高麗橋三丁目二十番地 響泉堂 森琴石先生恵披
胡鉄梅
(こてつばい)
(1)神戸海岸通四丁目十四番 同孚泰號※a方 胡鉄梅拝緘
(2)京都木屋町三条上ル、一富士楼方胡鉄梅拝緘 のものには「加賀心泉※b」の文字がある。    
胡鉄梅は日本と往復を重ねていた上海で、夫人生駒えつの名義で発行した「蘇報」が 時の 指導者の逆鱗に触れ、以来日本での逃避が始まる。 (最新情報、平成16年4月 をご覧下さい)
朱印然
(しゅいんぜん)
新潟中蒲原郡五泉町 中野雪江 殿方 清国朱印然寄             
 
※a  
同孚泰(どうふたい)=神戸広東系貿易商社を経営。教養も高く、明治12年11月「増田岳陽_」へ、増田氏より依頼された「増田氏著書草稿」の添削の返書をしている。住所は「寓神戸海岸四丁目南京十四番 同孚泰謹具」とある。「東京都立中央図書館所蔵『清使筆語』翻刻」(陳捷著・東洋文化研究紀要 第一四三冊・平成15年3月抜刷)
            
※b  
北方心泉(きたがた しんせん)=金沢市の浄土真宗常福寺第14世住職。書家としても有名。明治10年から清国布教師として東本願寺から清国に派遣、十年間中国本土で布教活動。その間胡鉄梅とも交流を深めた。
   
  伝記「近藤翠石」(藤井秀五郎著発行兼印刷・大阪美術日報社発行・昭和15年12月・非売品)には、交流があった横山大観、王一亭(上海)の書簡が掲載されている。
     

滋賀県立大学図書情報センター「陳コレクション 注1」には、門弟「近藤翠石」の「支那名勝画冊」(大正7年) や「増田東洲 ますだとうしゅう 注2」の「支那漫遊図録」(大阪聚楽会・大正14年10月) の著書が収蔵されている。

注1
  陳コレクション=神戸市に住む、陳シュ姚氏(「中国資料館・中華書店神戸分館」)が、阪神大震災で保存が難しくなった亡父徳勝(トクショウ)氏が、華僑同士のルートで集めた文化大革命当時の書籍や雑誌、日中国交回復前の日本で発刊された中国、アジアに関する書籍など約二万冊を一括して滋賀県立大学に寄贈したもの。(1996年2月6日付、朝日新聞夕刊記事による)
 
注2   増田東州=明治11年生。本名殖、字は子定。祖家は大和五条の名門吉野屋久左衛門、南朝の功臣たる系統を承る七十六代目の医師増田奈良吉氏の長男。大阪医学専門学校入学、一学期終了後琴石門下に入門する。受賞作多数。

 

森琴石編纂「名家画帖」(大野木市兵衛出版・明治13年3月) や森家の小画帖、二曲一隻貼交屏風に「山水図」などを揮毫している「天野方壺 あまのほうこ 」は、明治3年上海に渡り、一年近く「胡公寿」に画の指導を受けていた。

  天野方壺=文政七年に松山藩の三津浜に生まれ、画の指導を森田樵眠・中林竹洞・土佐光孚・貫名海屋・日根対山・椿椿山・橋本雪蕉・木下逸雲・胡公寿に学ぶ。京都府画学校に出仕するなど京都を拠点に活動した。生涯の大半を各地を漫遊、その勝景・奇景を写 生し、また古社寺や富豪の愛蔵する古画を模写して画道修業を続けた。画号は年代や遊歴場所などにより多数を使用した。富岡鉄斎からも「画匠」として敬愛されていたという。(梶岡秀一著「文人画家天野方壺履歴の概説」愛媛県美術館研究紀要 第3号抜刷・2004年3月31日 などによる)
森琴石の作品に「美津の魚市場」があり、胡公寿との関係については「平成16年4月平成15年12月」に記載。




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