森琴石(もりきんせき)1843~1921

森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成16年(9月)

神奈川県川崎市の「朝顔資料館」代表の渡辺好孝氏より、狩野芳崖の高弟として知られ、また東京美術学校の第一期生でもあった「岡不崩 おか ふほう 注1」画伯へ差し出した、明治39年5月19日付の「森琴石の書簡 注2」ご所蔵のお知らせを頂く。書簡には岡不崩が主催する「真美会展覧会 注3」に出品した作品に「名誉賞状」が贈られた事に対するお礼の言葉がしたためられている。岡不崩は美術家・美術教育者として活躍したが、傍ら本草学の研究に打ち込み、著書「朝顔図説と培養法」(民友社・明42、7)に見るなど、朝顔に魅せられた岡不崩は、朝顔の研究栽培の権威でもあった。渡辺氏より不崩の詳細年表や、森琴石が受賞した作品についてなど、諸情報 注4をお寄せ頂いた。その一部を下記にご紹介する。

注1   岡不崩(おか ふほう)
岡不崩=明治2年福井県大野町に生まれる。名吉壽(よしひさ)、初号蒼石、別 号楽只園・南山亭・梅渓。明治13年に上京。明治16年「狩野友信」に入門。友信の紹介で狩野芳崖に師事し北宗画を極め、山水花鳥画をよくする。師匠芳崖が東京美術学校の開校を目前に逝去し(明21、11、5)、前途の指針をなくしかけたが、岡倉天心の薦めにより、同年12月24日、東京美術学校を受験し合格する。岡倉秋水・西郷弧 月・本多天城・横山大観・下村観山等65名と共に、明治22年1月17日、第一期生として入学する。翌23年9月、東京高等師範学校の講師に抜擢される。同志と共に真美会を創立。全国連合絵画展覧会審査員。大東絵画協会評議員理事。帝国絵画協会会員。著書に「あさかほ手引草」(明35)「しのぶ草」(明43)「万葉集草木考 4巻」(昭7~12)「古典草木雑考」(昭10)など多数。昭和15年7月歿、享年72.
 
  岡不崩は琴石門弟「舩田舩岳 ふなた せんがく」とは東京美術学校の同期生である。
   
  参考
門弟「山名友石」は、洋ランなどを彩 色で図解した「珍花図譜 2巻」(山田芸艸堂、明36)を著している。「珍花図譜」は、旧東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)の蔵書本、岡山大学附属図書館の園芸資料、大阪大学附属図書館(花卉栽培図集)に蔵され、「牧野文庫蔵書目録(和書漢籍の部)」(高知県立牧野植物園・昭60・渡辺好孝氏より)でも紹介されている。 森琴石は「南画独学揮毫自在 巻三、四」(森琴石著編纂兼出版・銅版袖珍本・明13年3月)で、「花鳥昆虫類」を略図解しており、画稿や綴じ帖などにも図解のものを残している。
注2   森琴石書簡の表面 :東京市小石川区久堅町 岡不崩先生
裏面 :5月18日 大阪市北区北野高垣町2434  森琴石
注3   真美会=明治35年1月に同志と創立、青年新進画家の指導養成にあたる。
注4  

渡辺好孝氏よりのご情報

・ 第五回日本絵画協会第一回日本美術院連合絵画共進会
 (於東京、谷中日本美術院・明治31年10月15日~11月20日)
 日本画部門-新法(一)、中立(二)、古法(三) のうち   
 古法 森琴石 「松林談禅」 二等褒状 の記述がある
 (読売新聞、明治31年11月8日付)  
・ 日本美術院地方巡回展・仙台絵画展覧会
 (明治31年11月22日~11月31日)
 於仙台市東三番町五城館 勧業場北館・・入場者数1万人・出品者数75人
 11月23日:「ゆう(てへん+邑)翠館」にて岡倉天心が演説
 (「奥羽日日新聞」明治31、11、26~12、3)
 出品目録・作家名に森琴石、作品名「松林談禅」が掲載。なお関連資料は展覧会
  についての概評が掲載されている (奥羽日日新聞、明31年12月2日付)

・ 巴里(パリ)万国博覧会(明33・1900年)・NO82出品作「嵐山夏雨」・買い上げ品、原価25円と記載。フランスで出品された公式カタログ(オリジナルリスト)での掲載文には Mori(Kinseki)A.Osaka 82.La Pluie a Arashiyama; peinture sur soie. と、ある。

   
  渡辺好孝氏には「原色朝顔 つくり方と鑑賞」(農業図書・昭和52)・「変わり咲き朝顔」(日本テレビ・昭和59)・「江戸の変わり咲き朝顔」(平凡社・平成8)などの著書がある。

筑波大学附属図書館所蔵の「大日本詳細全図 注1(明9、11・森琴石編集・響泉堂刻)や、神戸市立博物館所蔵の「三府五港細見全図 注2注<1>(明9・響泉堂刻)・「改正 大阪区分細見図 注3(明9・武藤吉次郎編・響泉堂刻)などの銅版彩 色地図がある。それらの出版者「武藤 吉次郎 むとう きちじろう」は、福澤諭吉が創設した「慶応義塾」に慶応2年3月下旬に入塾し、明治5年、故郷大分県中津に福沢諭吉が開いた洋学校「中津市学校 なかつ しがっこう」の教師として派遣された 注4。その後大阪で福澤諭吉の著書「帳合之法」「福沢文庫」などの売捌書店を経営していた 注5

注1
「大日本詳細全図」
  出版人:福岡県士族 武藤吉次郎(豊前国下毛郡中津、大阪府下第一大区六小区谷町三丁目八番地)
発売所:西京三条通堺町 出雲寺文次郎/大坂備後町心斎橋通角 吉岡平助/同  谷町三丁目 武藤吉次郎蔵版 

奥附データご提供:筑波大学附属図書館
   
注2
「三府五港細見全図」、「改正 大阪区分細見図」

情報ご提供=熊田司氏(大阪市立近代美術館建設準備室研究主幹)
注3

 注1 注2については関係人物紹介 「武藤吉二郎」 をご覧ください。

注4   西澤直子氏論文「中津市学校に関する考察」による

西澤直子氏=慶応義塾 福沢研究センター所員・慶応義塾大学経済学部講師(非常勤)
   
 

福澤諭吉の甥で、同論文中に記述がある中上川彦次郎は、武藤氏の前年に中津市学校に派遣されている。明治29年「東京 丸木利陽」撮影の、中上川彦次郎氏の写 真が森家に残る。

中上川彦次郎(なかみがわ ひこじろう)=実業家・豊後中津生れ・慶応義塾に学び時事新報社長 ・三井銀行理事となり、産業への積極的新出をはかり、三井財閥の基礎を確立。

注5   「慶応義塾に学んだ人々展」 -特に明治維新以前を中心としてー 目録より


門弟「田川春荘 たがわ しゅんそう 注1」をテーマに扱った、大国正美著【田川春荘画の「孔子像」と地域社会 注2】、という文献の所在が判明。 文献の内容、田川春荘については順次ご紹介します。

注1   田川春荘:名は善近別 に養清山房、安世麿、花友と号す、安政三年兵庫県に生る。森琴石に師事して南宋派を研究し、殊に山水を能くす。御用品の栄を蒙ること二回、現に兵庫県川辺郡小浜村(現兵庫県宝塚市)内安倉七四番地に住す。
  「明治画史大正画家列伝 乾坤」(福間硯洲著・富田文陽堂刊・大正2年)
   
注2
「地域研究 いたみ 第28号」(伊丹市立博物館発行・平成11年3月)

 注1 注2 については関係人物紹介 「武藤吉二郎」 をご覧ください。

  大国正美(おおくに まさみ)氏=神戸新聞社勤務・伊丹市資料修史等専門委員長・神戸市深江生活文化館副館長。

平成14年5月16日より2年3ヶ月にわたり、大阪日日新聞で連載された「琴石と歩くおおさかの町」は去る8月14日付「総集編」で終了した。

  響泉堂刻「大阪名所独案内」(明15、出版吉岡平助)より、森琴石の110図にわたる挿し画や現代の写 真に添えられた文章は、大阪市の歴史系・美術系の学芸員の方々による綿密な調査に基づいたものである。明治維新直後の大阪を紹介するこの連載は、姿を変え、あらたに一冊本として刊行される見込み。

東海大學圖書館(中華民国、台中市)には、響泉堂刻の山崎昇著「円機活法 八巻2冊」(尚書堂蔵版・明14年)が所蔵されている。

  奥附にある発兌書肆などの詳細はgoogle(グーグル) 検索「響泉堂」にて、「東海大學圖書館館訊」に記述があります。



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